華やかなトップ女優が表紙を飾った「週間東京」。(左から)原節子、津島恵子、若尾文子
工事中の渋谷駅前の国道246号。後方に東急文化会館に完成したばかりのプラネタリウムが見える(市村孝さん提供)

2020年東京五輪・パラリンピックを控えて、アーカイブの活用や倉庫に眠っていた写真、映像の発掘による企画が新聞やテレビで目にする機会が増えましたがうらやましい限りです。


 東京新聞は日本プレスセンター(千代田区内幸町)が建つ場所に本社がありましたが、大戦で焼け崩れて多くの写真を失っています。戦後、社屋を再建しましたが、中日新聞社との経営統合による品川駅前(港区港南)への移転。そして2006年に現在の日比谷中日ビルへと移転を繰り返しました。引っ越しの際、段ボール箱に入ったままの大量のフィルムや資料部に保存されていたプリントは扱いに困り、やむなく一部を廃棄してしまったのです。


 東京新聞のカメラマンが撮影した戦中戦後、そして平成に至る貴重な写真の大半は失ってしまいましたが、写真部歴代の担当者によって整理されたフォルムがわずかながら残っています。中でも貴重なのは、1955年に発行した週刊誌「週間東京」の表紙を飾った女優のカラーポジです。原節子や若尾文子など映画全盛期のスクリーンに登場したトップ女優が、写真部員が撮影した6×6のポジフィルムに納まっています。当時はポジも社内の暗室で現像しており、大女優を相手に緊張して撮影した後に、絶対に失敗の許されないポジ現像は相当気を使ったことでしょう。若干色あせたフィルムが残っているのは、その苦労を知る後輩たちが必至に守り続けたからだと思います。


 東京新聞でも5月から「東京写真遺産」の連載をスタートさせました。家庭に眠っている東京の街や風俗などを撮影した写真を読者投稿の形で募り、現在の風景と並べて掲載する企画です。社にネガやプリントが残っていないための苦肉の策でもあるのですが…。初回に登場したのは、ちょうど60年前の1957年に撮影した渋谷駅付近の写真です。国道246号は工事中で路線バスが土ぼこりを上げて走り、かっぽう着姿の女性が歩いています。撮影から7年後の東京五輪の年にこの道路上に首都高速道路が開通し、渋谷はビル街に変貌していったのです。古い写真に並べて掲載している現在の風景は、投稿者を訪ねて使用したカメラやレンズなどを調べ、可能な限り当時と同じ場所で撮影していますが、その変貌ぶりには驚かされます。


 新聞を取り巻く環境は大きく変わり、新聞の速報性は失われたと言われて久しいですが、ネット展開による〝生中継〟並の巻き返しはたいしたものだと、個人的には思っています。一方で垂れ流しのようにアップされては消えていく…の繰り返しを見ると、報道写真のもう一つの役割である記録性について改めて考えてしまいます。アーカイブを利用した各紙の企画やテレビ番組を見るにつけ、その価値の高まりを感じてしまうからです。


 東京五輪・パラリンピックに向けて東京が動いています。その移り変わりを地上と空撮でカメラに納めています。そして、本番の大会では数え切れないほどのシャッターを切るでしょうが、大切なのはその1枚1枚を未来に残すことだと思います。最初の東京五輪が開催された昭和という時代と、現在では保存技術に雲泥の差があり、物理的にも容易になりました。貴重な1枚を失った過去を省みながら、日々生まれる写真の将来に思いをはせています。






2017年月8月