【写真説明】
世界報道写真コンクールの表彰式後、表彰状とメダルを手に喜ぶ(左から)千葉康由さん(AFP)、手塚耕一郎さん(毎日)、恒成利幸さん(朝日)=2012年4月21日、オランダ・アムステルダムで、渡辺幹夫撮影

写真って何だろう――。最近、よくそう考える。物事の真実を紙面を通じて読者に伝えるのが使命だ。とりわけ、報道に携わるわれわれの世界は、この数十年で劇的な変化をした。フィルムを化学反応で現像してプリントをつくって送る世界から、電気的な信号で映像を表現できて瞬時に送稿できるデジタル時代にめまぐるしく変革した。

日本で、新聞に写真らしきものが最初に登場したのは、手書きによる「絵」だった。1888(明治21)年、読売新聞社が会津磐梯山の噴火を報じる日本最初の「写真画」で試み、掲載した。当時は写真をそのまま印刷する技術がなかったので、写真家が撮影した写真を模した銅版画にして印刷した。これが日本における報道写真の事始めといわれる。朝日新聞に初めて写真が載ったのは1904(明治37)年9月30日とされる。時代は日露戦争のまっただ中。世の中の関心時だった戦地の様子を伝えた写真で、従軍していた記者が遼陽戦で撮影した。「九月一日シヤオシヤンズイ高地占領後の光景」と説明がつき、塹壕のふちに3人の日本兵が立ち、日章旗が見えている写真だ。撮影から約一カ月後の掲載だが、歴史に残る一枚となった。

その後、新聞における写真は「目撃者としての責任を果たす」という新聞記者の仕事の核心を担う重要なツールとして進化してきた。最近は写真のメッセージ性の高さや魅力が再認識され、新聞における写真の重要性が見直されてきた。だが一方で、改めて報道写真の意味や、報道に携わる者の倫理性が厳しく問われている時代を迎えている。近年、「写真は新聞の顔」ともいわれているが、紙面のビジュアル化はまだ歴史が浅い。今日も記者は、どうしたら世の中のことを、よりリアルにわかりやすく伝えられるかを工夫して写真撮影している。

しかし、最近の紙面はどうだろう。パソコンそしてグラフィックソフトの進化で、よりわかりやすく事象を説明するためにと、インフォメーション・グラフィックス(以下インフォグラフ)が台頭している。写真もその一つのパーツとして使われることも多くなった。ここで生半可な論を展開するつもりはない。
しかしながら、現実的に文字が大きくなった紙面では、既視感のある従来型の写真を掲載する紙幅がなくなってきているのも事実だ。さらに写真取材の取り巻く環境も厳しい状況に陥っている。だがどうだろう。ひとたび大きな事件事故、災害などが起きれば、報道写真の存在価値は高まる。東日本大震災でもそうだったように。

今年、オランダの世界報道写真財団が主催する報道写真コンテストで、日本のわれら同人3人が栄えある賞を受賞した。そのすべてが東日本大震災での写真だったが、世界から送られた10万点を超える写真のなかから選ばれたのは栄誉なことであり、これらが代表するように被災地の現状を伝える写真が世界の人たちに感動を与えたことは間違いない。

6月10日付けの天声人語で「ジャーナリズム本来の『追う仕事』に忠実なのは。フリーを主とする報道カメラマンだろうか。名声と正義、生活のために、彼らは体を張る」と記された。

われわれの報道写真も同じだろう。写真を通じて人々の感動を呼び起こしたり、独自のメッセージを送ったり、新たな使命感を模索しつつ、その可能性を追求しなければならない時代に突入した。最近、その思いを強くしている。