以前、弊紙のコラム欄に、カメラのデジタル化がもたらした写真記者の仕事の変貌ぶりについて書いたことがあります。フィルムカメラ時代の取材体験を織りまぜながら、最新のデジタル技術を大いに利用し、写真表現の更なるレベルアップに努めていきたいという思いを読者に伝えました。その一方で、デジタルカメラしか知らない入社したての若手の写真部員に、普段はあまり口に出して言えないような話を、『この場を借りて』アナウンスしたいという思惑もありました。



 「フィルム世代は、どうがんばったところで36回シャッター押したらそこで一区切り。ピントは手動、露出もマニュアル。フィルム交換を計算したり、思ったとおりに撮れているか不安になったり、出張先のホテルではバスルームで現像液の温度管理をして慎重にフィルムを現像。ネガからベストショットを選んだら電話機に電送機をつないで、20分近くかけて1枚のカラー写真を送っていたけれど、今じゃ、カードでいくらでも撮り放題。画像もその場で確認できて、軽くて薄いノートパソコンで加工したら、その場からピューンといっぺんに送り放題の幸せな時代に新聞社のカメラマンやってるんだから、もっと斬新な写真を撮って紙面をもっと面白くしてくれよー!」という(かなり長い解説ですが)、熱い思いを行間に滲ませつつ、エールを送ったわけです。



 果たして、その思いが通じたのかどうかわかりませんが、コラムを読んだ、ある若手女性部員から、「昔は写真を撮った後にフィルムを現像したり、電送も、ものすっごーく時間がかかったり、本当にたいへんだったんですねぇ~」と、慰めと哀れみが入り交じったような、なんとも名状しがたい表情で見つめられた後に、「でも、今は便利な時代になって本当によかったですねっ!」と明るく屈託のない、実にストレートな感想をもらったのですが、私はフンフンと頷きながらも、「そんなに昔かなぁ。うーん、なんかリアクションがちょっと違うなぁ」と心の中でつぶやきつつ、「まっ、そんなもんか」と妙に納得した次第でした。



 無理もないです。デジタル世代の若い写真記者に、アナログ世代が経験した職人的な技術など理解できるわけありません。二十数年前の新人時代に、先輩カメラマンやデスクから、「一枚勝負!」のような緊張感あふれる取材現場の話を聞いた時に、「そりゃ、たいへんだわ。今はモータードライブとズームレンズがあってよかったなぁー」と、ノーテンキに思った感覚に少し似ていると思ったからです。それにしても昔の写真記者って、今振り返ると思わず笑ってしまうような、「家内制手工業的」な作業が多かったような気がします。



 今、デジタル時代の最前線で働く写真記者は、アナログ世代とは性格のまったく違う職人技や苦労を背負いながら仕事をしているように思います。写真を撮る以外にパソコン上ですばやく画像を選んで的確に処理できるエディター的能力や、どんどん改良が加わるデジタルカメラや通信機器に精通した「メカを使いこなす」能力も求められます。プライバシーや肖像権の高まりで、昔では思いもよらなかったトラブルに遭遇することもあり、取材上の制約も以前に比べ増えつつあります。撮った写真が紙面に掲載されるまでの過程が劇的に進化したことで、極端に言えば、ひとりで仕事を完結することも可能です。前述の女性部員が言うように、本当に便利な時代なのですが、フィルム時代に写真記者の青春を過ごした身からすれば、仕事の流儀があまりにも変わってしまいました。



 あの頃も、写真記者は個人プレイヤーではありました。でも、取材した写真が紙面化されるまでの間に、いつも誰かが介在していたような気がします。たとえば暗室の中で、皆でワイワイ議論したり騒いだりしながら写真を批評しあったり、表現力やプリント焼きの上手な技術を学んだり、現場の失敗談を聞いたり・・・、とても感傷的ですが、「人の匂い」を感じながら仕事をしていました。

パソコンが何台も並んでいる職場では、今日も次代を担う写真記者が黙々とディスプレイに向かっています。彼らの背中を眺めつつ、あの牧歌的でアナログチックな日々を懐かしむ今日この頃です。




2009年11月