駆け出しの新聞記者だったころから、人を取材することが多かった。聞き取った話や集めた情報に加えて、相手の気持ちや表情を伝えたい。心のひだを描きたい。その思いが先走るとつい、こんな言い回しで記事を締めくくろうとする。
「……」といって笑顔を見せた。唇をかみしめた。うつむいた――。
ある日、デスクの声が飛んできた。「ありきたりの表現だなあ。紋切り型の文章を書くな」。喜んだとか、悔しがったという言葉を避けただけでは工夫が足りない。安易な書き方で逃げるな、と手厳しい。
手垢のついた文章は、もちろん自分でも書きたくない。ただ、表現の引き出しをどれほど持っているか。そこが問われてくるから、頭でわかっていても一筋縄ではいかない。

原稿って難しく、奥が深い――。そう感じ続けてきた自分がいま、写真部に身を置いている。文末の一行もさることながら、今度は新聞各紙に載る写真が気にかかる。どんな瞬間をカメラにおさめたのか。同じテーマをどう撮っているか。ほかとは違う独自の写真を、どれだけ紙面に載せているか。そこを日々問われるカメラマンの仕事もまた、奥が深く、一筋縄ではいかない。

夏の盛りを迎えたある日、デスクが部員に声をかけていた。「今日は猛暑日になりそうだな。『ああ、暑い』っていう写真を撮ってきてよ」
強い日差しが朝から照りつけ、気温はぐんぐん上がっている。写真の狙いははっきりしている。でも、撮りに行くカメラマンにとっては、意外にハードルが高そうだ。なにせ暑いのは今日だけではない。昨日も一昨日も列島は猛暑に見舞われた。公園で水を浴び、はしゃぐ子の姿も、都心の「逃げ水」も海辺の景色も、すでに紙面を飾っている。じゃあ、今日はどこで、何にレンズを向けるのか。どんな情景を切り取ることで、うだるような暑さを伝えるのか。
腕の見せどころ、というのは簡単だけれど、撮り手は苦労するだろうなあと実感する。

新聞記者であれば常に、表現の幅が求められる。取材の経験や撮影の技術、それぞれのセンスと知恵。日ごろからどんなアンテナを張っているか。情報への感度を上げておくことも欠かせない。
そういえばかつて、「紋切り型」の原稿を突き返されたとき、デスクに言われたことを思い出した。「忘れてはいけないのは好奇心。磨くのは観察力」。人を、街を、世の中を、とにかく細かく観察する。「へえ」と感じる何かを、一つずつ見つけていく。そこを具体的に書けば文章に個性が出る、自分の発見を記録しなさい、というのである。
結局のところ、写真であれ、記事であれ、新聞記者は観察することから出発するしかないのかもしれない。
そんなことを考えていたら、「暑さ」の取材に出かけた若手部員が、汗だくになって戻ってきた。さて、どんな場面を撮ってきた? 思わず声をかけた。