【写真】世界水泳・男子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得した瀬戸(8月4日、バルセロナで=金沢修撮影)この夏の熱帯夜、バルセロナの世界水泳と、それに続くモスクワの世界陸上をテレビ観戦しながら始終ハラハラしていた。新星・瀬戸大也の400メートル個人メドレー金メダルに手に汗を握った? “人類最速”ボルトの記録更新を期待して? ・・・そうではなく、日本人選手が上位に食い込んだり、好記録が出たりするたびに、「朝刊に写真は入っただろうか」と気になってしょうがなかったのだ。

バルセロナの夏時間と日本との時差は7時間、モスクワとのそれは5時間。ヨーロッパで行われるスポーツの大会ではしばしばあることだが、日本では最終版の締め切り間際に注目競技の決勝レースを迎える。未明に写真部に電話をして「入った?」と尋ねたいのをぐっとこらえ、朝、新聞を開いては「おぉ、入っている」「うーむ、○紙には載っているのに・・・」と一喜一憂。そんな日々だった。

「読者はそこまで細かく見ているだろうか」という疑問がちらっと頭を掠めつつも、同じ種目でも準決勝より決勝のレース、決勝ならレース中よりゴール直後の表情を、と要求はエスカレートするばかり。8月5日朝刊の一面に、電光掲示板を見た瀬戸大也が「よし」とばかりに拳を握りしめた写真が載った時はうれしかったなあ。ゴールしたのが日本時間の午前1時23分。締め切りまで、あと数分という時間だったからだ。

デジタルカメラの時代、写真は環境さえ整っていれば、地球の裏側からでも撮影してほんの1分で送信できる。海外のスポーツや事件・事故の現場では、決定的瞬間を狙うだけでなく、写真をスピーディーに送るために無線LANや衛星回線などの通信手段を確保することも写真記者の重要な仕事だ。東京の本社で受信するデスクも、紙面のレイアウトを決める編成部も、その写真を紙面に載せるべく万全の準備をして待ち受ける。

1960年代初めまで、写真を遠方から送る一番の手段はハトだった。日本新聞協会編『新聞カメラマンの証言』によると、各新聞社はそのころ、200~300羽ものハトを飼っていた。写真記者は現場に出かけるときにハトを5、6羽入れたカゴを持っていく。写真を撮ると2、3羽のハトにフィルムを丸めて入れた写真筒を背負わせ、別の2羽には写真説明を入れた通信筒を脚に付ける。何もつけない残りのハトが一隊を先導して本社に向かったという。

優秀なレースバトは1000キロの距離を半日で飛ぶそうだが、いつも無事に帰ってきて特ダネ写真が紙面を飾るとは限らない。山の中でハヤブサに襲われた、他社のハト小屋に飛び込んでしまった、などという話も数多く伝えられている。ハトレースを主催する新聞社も多かったが、社会貢献のためより、少しでも速く飛べるハトを飼い、戻ってくる確率を高めるのに愛好家の知恵を借りたいという必要性に迫られてのものだったろう。

1回の取材で何千回もシャッターを切れるメモリー容量、ほんの少し光があればフラッシュを使わなくても撮影できる超高感度・・・。デジタル機器の普及は報道写真の世界を一変させたが質も高めたのかどうか、とはよく言われることだ。通信手段もまた然り。ハトが命がけで届けてくれた写真と数十秒で地球を半周してきた写真、どちらが、より真に迫っているかとはまったく別の話だ。

そんなことはわかっちゃいるが、締め切りぎりぎりの写真を入れたいという気持ちは抑えられない。「ちゃんと戻ってくれよ」と祈るようにしてハトを放す記者や、本社屋上のハト小屋の脇でじりじりしながら飛んでくる方向を見つめるデスク。その心持ちは半世紀を過ぎたいまも変わりない。