【写真】巡回された写真展=米原公民館で東日本大震災の取材がはじまって1週間余りたった3月20日ごろ、写真部員の一人が「写真展やりませんか」と言ってきた。連日被災地から送られてくるおびただしい数の写真。紙面に掲載する写真を選びながら、この選ぶという作業にどれほどの意味があるのか、新聞に載った写真と載らなかった写真に差はあるのか、そもそも新聞だけでこの災害を伝え切れるのか。そんな疑問がどんどん膨らんでいたときだった。

日々の紙面を作るだけでも十分に忙しい毎日だが、部員はみな何かに憑かれたように作業をし、2週間後の4月6日には東京・大手町本社での開催にこぎつけた。展示したのは3月12日から27日までに撮った67枚の写真と8つの取材メモ。タイトルは、この災害を決して風化させてはいけないという思いで、東日本大震災報道写真ギャラリー「記憶 忘れてはいけないこと」とつけた。

勢いだけで始めた写真展。反響があるかどうかは正直不安だった。しかし、予想以上の数の来場者があり、多くの励ましのメッセージもいただいた。その中で、滋賀県米原市の米原公民館の方から、「感動しました。ぜひ、うちの公民館でこの写真展を開いてもらえませんか」との依頼が寄せられた。そんな引き合いがあるとは思っていなかったのでびっくりしたが、喜んで写真パネルを貸し出し、大阪写真部からは設営の手伝いも派遣し、6月6日から20日にわたって無事開催された。写真はそのときに見に来てくれた親子である。

「キオク。ワスレテハイケナイコト…」。父親が2人の子供に聞こえるように、写真展のメッセージボードを読み始めた。一字一句漏らさず語る朗読はやがて写真のキャプションに移る。途中、写真の解説も交えながらの約30分間、2人の子供の目は写真を見つめ、耳は父親の声をたどっていた。

親から子へ、そして人から人へ。私たちの「写真ギャラリー」という小さなメッセージが、確かな言葉となってつながっていく。震災後、人とのつながりや絆を意識することが多い。そして「伝える」ことの大切さも。これらも「ワスレテハイケナイコト」なのだろう。