コラム
《五輪はカメラマンにとっても一生に一度の夢舞台》
日本全国を寝不足にしたロンドン五輪が閉幕した。日本選手団は金メダルこそ7個と目標の15~16個には届かなかったが、総数ではアテネ五輪の37個を上回る史上最多38個のメダルを獲得した。勇気と感動を与えてくれた選手たちに拍手を送りたい。
五輪で表彰台のトップに上るのはアスリートにとって最大の栄誉だが、カメラマンにとってもその現場に立ち会えるのは最大の幸運である。五輪は4年に1回。複数の人間を写真取材に派遣する他紙とは違い、デイリースポーツは恥ずかしながら1人のみ。一生に一度経験できるかどうかの夢舞台といっていい。その舞台に立つには、選手が国内での代表争いに勝ち抜くのと同様に、まずは社内での競争に勝たなければいけない。
筆者もバルセロナ五輪(1992年)“出場”をひそかに狙っていたが、あえなく予選敗退。その後夏季五輪はアトランタ、シドニー、アテネ、北京、ロンドンと5回を数えたが、二度とチャンスは巡ってこなかった。その後はデスク、部長として“五輪代表”を選考する側に回ったが、五輪への思い入れは人一倍強いつもりだ。
選考基準として筆者が最優先したのは「俺に行かせてくれ。五輪を撮るのは俺しかいない」という強い自負心を持っていることだった。極限のプレッシャーと闘うには自分が選んだ道なんだという意識が必要だ。
以上に加え、アグレッシブさに豊富な経験、タイトな日程に耐えられる体力が求められる。理想をいえば30代前半から中盤、入社10年から15年の最も脂が乗りきった世代が適任と考えた。
そしてもう一つの条件として挙げたのは、業界用語でもある“引きの強さ”だ。「被写体が期待に応え、金メダルを獲る」のではなく「被写体に金メダルを獲らせる」のだ。時にはアクシデントまで発生させてしまう。そしてその瞬間を確実にとらえる。それが“引き”だ。強運を生まれ持っている人間はいる。だが“引き”はカメラマンの執念が引き寄せるものだと思っている。
以上の条件をすべてクリアし、社内での競争を勝ち抜いた人間をロンドン五輪代表に選考した。取材の中心はなでしこジャパンだったが、合宿地とロンドンの各会場を片道2時間かけて移動し、柔道や体操、レスリング、水泳、陸上も体力の続く限りカバーした。柔道女子の松本薫、体操男子個人総合の内村、女子レスリングの小原、伊調、男子レスリングの米満。日本が獲得した金メダル7個中、5個はカメラマンが“獲らせた“と勝手に思いこんでいる。
締め切りの関係でほとんどが号外、WEBでの対応となったが、多くの人に感動を伝えることはできたと思っている。カメラマンに贈られるメダルはなかったが、8月20日に行われた銀座パレードでメダリストが乗るバスに同乗、50万人からの歓声を浴びることができた。
2016年・リオデジャネイロ、2020年・東京?カメラマンの五輪代表争いはすでに始まっている。