【写真】ハンセン、棒高跳びを制す東京五輪大会で延々9時間も続いた棒高跳びの激闘。夕闇の中でハンセン(米)が5メートル10を跳び優勝した=1964(昭和39)年10月17日、国立競技場

弊社の社史「共同通信社50年史」に1964年東京五輪の取材態勢が記されている。「写真チームはデスク12人、カメラマン47人のほかに、加盟紙12社からカメラマン12人の応援を要請、さらに暗室要員としてアルバイトを含む25人を確保、総勢96人の陣容になった」とある。デジタル化され通信手段が格段に進歩した現在と、一概に比較はできないが、破格の人員を投入したことがうかがえる。

「自社だけでなく大会組織委員会から委託されたプーラー取材もこなした」との記述もある。プーラーは一般カメラマンが決められた撮影席でしか取材できないのに対し、各競技場で選手に接近して撮影できる有利な条件が与えられた。「共同は写真要員の19人を充て、AP、UPIの外国プーラーと肩を並べて撮影した」と、国際通信社と対等の立場に立てた取材ぶりを誇らしげに書いている。

五輪史に残る、棒高跳び決勝のラインハルト(ドイツ)とハンセン(米)の8時間を超す激闘の報告もある。「1人でカラー写真取材を担当したカメラマンはスタンドから狙った。当時のカラーフィルムはISO100の感度しかなく、スタンドの照明だけで写すのは無理だった。『何とか物にしたい』という執念から、ハンセンがバーをクリアするとき、一瞬ながら静止する瞬間を狙って15分の1秒でシャッターを切った」。渾身の1枚は真っ暗な夜空に舞うハンセンの姿を見事に捉えていた。

共同がカラー配信を始めたのは64年東京五輪が始まり。カラーフィルムによる夜間のスポーツ撮影は、当時としては画期的だった。現在の写真・映像記者が持つカメラは、感度をISO6400まで上げることが可能で、夜間でも高速シャッターで容易に連続写真が撮れる。20年までにはこれまで以上のスピードで、高画質化が進むはずだ。

ロンドン五輪でAP、ロイター、AFP、ゲッティは遠隔操作できるロボットカメラを各競技会場の天井に設置し、成果を挙げた。卓球や柔道、レスリングなどを真上から撮影した新鮮な視点の写真は、加盟紙にも大きく扱われ、評価も上々だった。期間中、計46台が稼働したという。

64年当時のカラー化に匹敵するような写真の新しい流れが、7年後に生まれるだろうか。進化する五輪写真取材に興味は尽きない。