2月中旬の月曜日、このコラムで何を書こうかと考えながら出社すると、真っ黒に日焼けしたプロ野球キャンプ取材帰りの部員が何人かいました。その日焼けした顔を見ていると、自分もカメラマンとして現場に出ていた頃のことを思いだします。

思い返せば、毎年2月には、東京にいることなどありませんでした。だいたい九州、沖縄…。どこかの球団のキャンプに出張していたものです。なかでも宮崎県、つまり読売巨人軍のキャンプ地である青島に足を運んだ機会がダントツに多かったのは間違いないでしょう。

私は子供の頃からONの活躍をテレビで見て育ち、現場取材では長嶋監督を多く取材してきました。このコラムでも何人かのスポーツ紙の部長が、ミスターについて書いていらっしゃいましたが、それを読みながら自分も同じ現場にいたなぁと当時を懐かしく思い出しました。

その長嶋監督が、本拠地・東京ドームでジャイアンツのユニホームを脱ぐ勇退の日。私にとって忘れることのできない一日でした。すでに現場には出ない内勤のデスクという立場になっていましたが、これも何かの縁でしょうか、その2001年9月30日、写真部の当番デスクは私でした。

その日の編集会議で、当時としては斬新なアイデアが出ました。スポーツ紙の顔となるフロントページの1面を、記事原稿を極力少なくし写真を前面に押し出して作れないかという提案でした。10年前としては、かなり画期的な試みだったと思います。私にとっても思い入れのある長嶋監督の記念になる日の新聞です。いつまでも読者の心に残るような記念の紙面にしたい…との思いが強くありました。

当日は、現場となる東京ドームに10人を超えるカメラマンを配置しました。
大量のフイルムがドームから会社にバイク便で届きます。1コマ、1コマ、3000枚以上のコマをルーペで見ながら、どんな構図の写真を使ったらよいのか悩みました。頭の中には、長嶋さんが現役引退試合で見せた最後の挨拶、スポットライトが当たったなかでの正面を向いた姿が思い浮かんでいました。
しかし、同じパターンではつまらない。どうしたものかと考えていたところ、ふと、監督の後ろ姿が頭にひらめきました。

「そうだ!背中の3番で行こう」と思いたちました。締め切り時間を気にしながら、必死でネガを見まくりました。スポットライトを浴びた背中の3番と長く伸びた影。一塁側に配置したカメラマンが撮影した1コマが目に飛び込んできた瞬間「これでいけるぞ」と思ったことを記憶しています。

後日談ですが、勇退の挨拶で弊社を訪れた長嶋監督が、玄関に飾られたその一面の写真パネルを見て「いい写真ですね」と言われたと聞き、撮影したカメラマンとともに喜びました。

今年のプロ野球は日本ハム・斎藤佑、巨人・澤村などの注目ルーキーに加え、現場復帰した楽天・星野監督など話題が豊富です。近年は昔に比べテレビ中継も減っていて、家でプロ野球を見るような機会も減っているのが一野球ファンとしては少し残念です。テレビの代わりになるかどうかは分かりませんが、インパクトのある写真や記事を提供し、読者の心に響く紙面を届けられれば…と思っています。