写真部に着任したのは昨年6月。あの時、この部に来て、すぐに頭に浮かんだ言葉がある。それは「現場」。外へ次々と飛び出していく部員の後ろ姿を見ていて、反射的に浮かんできた。

 

 新聞の世界に入って30年が過ぎた。ずっと書き手、ペン記者の道を歩んできた。事件でも、事故でも、街だねでも、いつも現場で取材を重ねてきたように思っていた。なのに、写真部に来たら、その「現場」という言葉がなぜか新鮮だった。どうしてか。知らぬ間に、現場から遠ざかっていたような気がして、寂しく、そして恥ずかしい思いがこみ上げてきた。

 

 弊社のことでやや申し訳ないが、約6年前、横浜市の日本新聞博物館で「東京新聞創刊120年展」という催しが開かれた。タイトルの通り、さまざまな展示品によって弊社の120年の歴史を紹介する企画展だったが、当時、横浜支局にいた私は開催の数日前から博物館に足繁く通い、展示品の陳列などの手伝いをさせられた。かなりの重労働。ただ、展示する際に内容をひとつひとつ確かめるため、昔の新聞記事や写真をじっくりとながめることができた。そんな中で、ある記事に目が止まった。

 

 弊紙の前身「都新聞」の記事だった。明治時代に刺殺事件を起こした美人芸者の出獄をスクープしようと、都新聞の記者が張り込み取材する。その現場の様子をこの記者は雑感記事に仕立てていくのだが、この記事が実に生々しく、現場がにおうように書いてある。観察力の鋭さ、表現力の見事さ、現場での粘り…。明治の大先輩の文章を読んで、脱帽した記憶がある。そして、強く感じたものだ。新聞の原点は、やはり現場だと。

 

 当たり前だが、写真は現場に行かなければ話にならない。しかしながら、記事は必ずしもそうではなくなってきた。伝聞、あるいは電話取材…。現場に行かなくても、現場の様子を書き上げる二次的な手段がある。ただ、それに甘えてはいないだろうか。そんな考えがいつも頭の片隅にあったし、新聞全体が甘えの構造に浸食されていくような気がしてならなかった。

 

 通信手段の飛躍的な進歩、官公庁などの行き届いた広報体制、過度になりがちなプライバシーの保護…。そんなさまざまな要素が現場をさらに遠ざけていく。

 

 新聞がおもしろくなくなった、と以前から言われてきた。当たっていると思う。ならば、おもしろくするには…。記者が現場で苦労して撮ってきた写真に多くの手がかりがあるように思える。単純に、素直にそう思う。記事も、現場や現実にもっと肉薄しなければいけないのではないか。やはり、それが原点だろう。

 

 そんなことを考えながら、「現場」を頭によみがえらせてくれた写真部に、感謝している。