【写真】1992年11月、秋季キャンプでスライディングの見本を示す巨人・長嶋監督=宮崎市民球場(筆者撮影)

 1992年秋、ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄の監督復帰に日本列島は沸き返っていた。私も少年時代に憧れた一人で、この商売を志したのもミスターに会いたい一心からだった。第一志望の報知新聞には書類選考で振るい落とされ、なぜかデイリースポーツに拾われることになったのだが・・・・。

 

 そしてミスターが監督として始動する秋季キャンプを取材する幸運に恵まれた。以前このコラムにサンスポ・藤原部長も書いていたが、私も毎朝5時に巨人軍の宿舎へ行ったクチだ。まだ若い盛りだから、朝まで飲み明かしその足で宿舎へ行った。結局、キャンプ中にミスターが散歩に出ることはなく、張り込みは失敗に終わった。正確に言うとキャンプ序盤に一度散歩に出ようとしたらしいが、ロビーに大勢の記者、カメラマンがたむろしているのを見て取りやめたらしい。後日ある人から聞いた。あれだけ多くの人間がいて目撃情報がまったくなかったのは、皆ロビーのソファーで眠っていたからだ。

 

 そんな狂騒曲が鳴り響くある日の昼下がり、原稿の打ち合わせで巨人担当の鬼キャップが私に言った。「今日の原稿は“殺人スライディング”で決まりだな!」目をぎらぎらさせ、かなり興奮していた。

 

 「?????」何を言っているのかさっぱり理解できなかった。「そうか、おまえいなかったな。長嶋さんがスライディングを教えたんだよ。なんだったら1枚あげようか?」やりとりを横で聞いていたSニッポンのベテラン、Kカメラマンが教えてくれた。ミスターから目を離すという最大の愚を私は犯してしまったのだ。デスクや先輩からは「ネガをもらうな!」という厳しい教育を受けている。生きた心地がしなかった。

 

 その直後、放心状態でグラウンドを見ていた私の目に、ライトポールへとダッシュするミスターの姿が見えた!私もカメラと400ミリをぶら下げライトポール目がけ追いかけた。必死だった。ウサイン・ボルト並?のスピードで走りに走った。そして何とか追いついた。

 

 カメラを構えた瞬間、ミスターが「足をカギカッコにして~」と長嶋語を発しながら「ザザザー!」と芝生を滑った。肩で息をしながら懸命にシャッターを押した。人差し指がわなわなと震えていた。ミスターは私のため?にもう一度パフォーマンスを見せてくれたのだ。その時は本当にそう思った。とても56歳とは思えないほど格好よかった。

 

 だが“殺人スライディング”にはとても見えなかった。横にいたNスポーツのUカメラマンにおそるおそる取材した。

 「さっきの(スライディング)はどうだった?」

 「まったく一緒ですよ。今の方が絵的にはいいかも」

 

 彼は絶対にうそをつかない男だ。生き返った気がした。残念ながら1面ではなかったが、紙面に穴を開けるという最悪の事態は免れた。Kデスクに殴り倒される心配もなくなった。

 

 18年たった今でも、ミスターが夢に出てくる。派手なパフォーマンスを見せるのだが、なぜか私がカメラを持っていなかったり、シャッターが落ちなかったりする。そして目が覚める。額には脂汗が浮いている。その原体験が“殺人スライディング”にあるのは間違いない。