【写真】大阪球場:南海の本拠地・大阪球場。正式名称は「大阪スタヂアム」

【写真】西宮球場:阪急の本拠地・西宮球場。1987年には首位争いで満員

間もなくサッカーW杯ブラジル大会が開幕する。日本が予選リーグを突破し、決勝トーナメントで強豪国を打ち破って勝ち進む…。眠い目をこすりながらも楽しくて幸せな時間。根っからのサッカー好きとして今からわくわくしている。

列島がW杯に夢中になっている間、話題の横に置かれそうなのがプロ野球だ。そのプロ野球に球団数の拡大構想が浮上した。政府の成長戦略に対する自民党の日本経済再生本部がまとめた提言で地域活性化策の一環だという。プロ野球全体の有り様については、大いに議論すべきだが現実は厳しい。

今回の構想は本拠地がない北信越や静岡、四国、沖縄に球団を設けて、球団数を12から16に増やすというものだ。しかし、球団の運営には多額の費用が必要で、現在の全球団が厳しい経営に直面している。1試合あたりの入場者数はセ・パの平均で約25000人だが、今回あげられた都市や地域にそれだけの市場があるとは思えず、ことは簡単でない。球団数の増減、いわゆる球界再編につながりそうな動きは過去に何度かあった。近鉄がオリックスとの合併を発表し、チーム数を減らして1リーグ制移行の動きに発展。選手会のストライキを経て、ようやく新球団楽天が誕生した〝騒動〟は記憶に新しい。

今回の構想が進んだ場合、再編に乗じた球団の身売りなどが起きる可能性は十分にある。オリックスの前身「阪急ブレーブス」がオリエント・リースに身売りされた1980年代の後半、筆者は大阪支社に勤務していた。世はバブルで、社屋の真ん前にある北新地やミナミの華やぎは絶好調だった。大阪に本社を置く大企業が関東の球団を買収するといったうわさ話も多々あった。しかし、球団の親会社も余裕のある時代で、身売りなどは非現実的な話だと思っていた。

しかし、1988年、球団創立50周年を迎えた「南海ホークス」が、水面下で進めていた身売りの動きが表沙汰になると、いよいよ現実として受け止められた。シーズン途中の9月には親会社が正式に発表したが、身売り先がスーパーマーケットのダイエーで、本拠地を福岡に移すと聞いて仰天した。南海は難波の大阪球場を本拠だったが毎試合閑古鳥が鳴いていた。球団が発表する観客数は、毎試合決まって1500人。販売済みの年間シート数をカウントしたとしても実体と離れすぎていた。ある日、取材の合間に実数を調べたことがあるが、どう数えても500人以下だった。門田博光やドカベン香川伸之など名選手や甲子園をわかしたアイドルを擁しながら厳しい現実だったのだ。

一方、阪急の身売りは寝耳に水だった。移転反対運動など球団の内外に混乱が生じていた南海を、阪急は反面教師にしてその動きを漏らさず、一気に正式発表にこぎ着けたのだ。阪急も観客席の光景は南海を笑える立場ではなかった。

「広大な北海道にはもう1球団」「北陸新幹線開通で便利になる金沢にもあっていい」「野球が盛んな四国は外せない」。居酒屋でのんきに話すだけなら簡単だ。しかし、預かり保証金やスポンサーなど資金面、球場建設やアクセスなど新球団設立のハードルは実に高い。プロ野球がない都市や地域にとっては歓迎ムードもあるようだ。球団誘致構想を公約にして当選した東海地方のある市長周辺では追い風と期待する。しかし、市議会では慎重論があり、成長戦略となるか懐疑的な議員も多いと聞く。現実を見れば真っ当な反応だろう。様々な問題をクリアして球団数が増えるとチーム間の戦力均等化を図るためにトレードが盛んに行われるだろう。ベンチウォーマーだった選手の出場機会が増え、2軍でくすぶっていた逸材に光が当たるチャンスになるかもしれない。

しかし、不本意なトレードに涙する選手も出るだろうし、BCリーグなど独立リーグへ余波が及ぶことは避けられない。南海を買収したダイエーは本拠地を移したが、福岡行きを拒んだ門田は阪急にトレードされた。阪急を買収した会社は社名を変更して球団名も同じオリックスに。チームの顔だった山田久志と福本豊は、そのまま現役引退を決断した。球団の都合が選手の人生に影響を与えた事例だが、楽天の誕生時にも同様の事態があった。

1958年(昭33)から半世紀以上続く、現行の2リーグ、12球団制。日本国民に大きな夢と影響を与えるプロ野球だからこそ、再編や構想などは、プロ野球に身を置く経営者と選手、そしてファンが考えるものではないか。庶民の娯楽であるプロ野球の新球団設立を政府や行政が主導することには違和感を覚える。プロスポーツの世界にはトレードはつきものだが、そこに政治家の思惑がからんだとなれば選手やファンの心情はいくばかりか。政治と行政は後方支援に徹してほしい。