【写真】「持ち主は無事なのか・・・」南三陸町の被災地では、子供用のスプーンと消防車のおもちゃが形をとどめていた=前田利宏撮影、3月15日付け紙面に掲載本文の前に、謹んで地震災害のお見舞いを申し上げます。

3月11日(金)14時46分、昼食後とあってまったりとしていた編集局が耳鳴りのような「ぶーん」という低周波の音の直後グラリと揺れた。

「地震?」「地震だね」なんて言い合っていたのもつかの間、今まで経験した事がない揺れがやってきた。「何?」「おいおい!」「デカい!デカい!」。悲鳴こそなかったが声にならない声。窓から外を見ると高層マンションの避雷針が今にも折れんばかりに大きく左右に揺れている。三脚や脚立、レンズケースが倒れ落ち液晶テレビも倒れた。

頭上からは天井の梁の部品が「バキッ」と音を立てて落ちてきた。最悪だったのは銀塩時代から使用している大きなプリンターの補給用の純水がタンクごと倒れたことだ。フロアが水びたしになり、階下に水漏れになってしまう為、揺れの中大急ぎで水をふき取らねばならなかった。

テレビからはニュース速報の「ポーン・ポーン」と地震発生のテロップが一斉に流れる。「М8.8!こりゃあヤバイぞ・・・」しばし同僚とぼう然としている間にも余震が相次いだ。足元から揺さぶられて机の下に隠れる事も、何かを押さえて保護する事も一切できない。震源地に近い東北地方の惨状はこの時は想像もしなかった。ましてや原発に被害が及び、国をも滅ぼしかねない事態になるとは全くの想定外だった。

とにかく東京も自宅も大変なことになったのは間違いないと感じた。部員や家族の安否、ペットはどうなっているかなどさまざまな憶測がフルスピードで駆け巡る。社屋の窓からは台場方向の空に黒煙がもくもくと上がっているのが見え災害を身近に感じた。地震発生から30分ほどすると「弊社のビルに亀裂が入った恐れあり」と全員退避の放送がかかる。

今思えば、ちょうど東北地方を津波が町ごと飲み込んでいる頃だった。外に出ると小学生が防災ずきんをかぶって校庭に出ている。不気味な余震は何度も続く。しばらくして退避命令が解け、社屋に戻ってみると都内で取材中だった部員や通信社から数枚の都内の被害の写真が入り始めていた。

911同時多発テロや福知山線脱線事故など目を疑うような重大事件事故の報道に携わってきたが、自分自身が大きな災害を体験したのは初めてだった。もちろん震源地付近の被害とは比べようも無いくらいのレベルだったがショック状態は続き、あえて平静を装っている自分がわかった。揺れて位置が変わったテレビからは宮城や岩手の上空ヘリからの映像が入ってきてさらにショックを受けた。現場に出ている部員とはなかなか連絡が取れない。取材の移動中、列車に閉じ込められたままの部員もいた。

先の見えない政治や経済でそれでなくてもどんよりしていた「日本」だったが、更なる追い討ちをかけるがごときこの天災。ふと外を見ると台場付近の火災現場から漂ってきた黒い煙が合わさり首都東京の空は黒い不気味な空に変わっていた。小松左京原作の映画「日本沈没」のシーンや五木ひろしが歌った映画主題歌「明日の愛」のメロディーが浮かんでくる。ついさっきまで「もうすぐ開幕だね~」「まだ寒い」「花粉症だよ」なんてのんきに過ごしていた日々だったが、一瞬で首都圏の交通をマヒさせ、食糧や電池、燃料不足、停電に悩まされる不自由な生活に180度変わった。

テレビからはバラエティー番組や民間企業のCMが消え巨大地震緊急番組が連日流れ続けた。最初はメディアのヘリ映像だけでなく一般人が撮影したグラウンドレベルの津波動画にただただショックを受けぼう然とした。翌日、福島原発が爆発というショッキングな出来事がありニュースの中心が「放射能」の恐怖に変わっていった。福島原発が水蒸気爆発した際の衝撃的な映像や現場で必死に行動する自衛隊、警察、消防の姿と正反対の他人事のような事務方の会見、地震被災者の家族にあてた涙ながらの声、津波や固定カメラが記録していた地震のすさまじい揺れ・・・。動画でなければ伝わらない優位さを確かに感じた。

ただ、私はこのコラムの場で動画だ、いや静止画だと競うつもりはない。静止画には静止画の良さも存分にあることは言うまでもない。報道カメラマンはどんな現場でもファインダーを覗くと、何を盛り込むのか、何を伝えたいのか考える。写真から汲み取ってほしいものをぎゅっと凝縮してキャプションを付け新聞紙面という発表の場で表現する。千年に一度といわれる未曾有の地震・津波の災害や予想もしなかった原子力発電所の事故、各社の取材写真に胸を打つものが非常に多かった。

私は通常、新聞を読む時まず写真をざっと見、目で読んでから記事に目を通す癖がある。

しかし最近は写真に釘付けになり、なかなかページをめくれない。手を止めキャプションを読み目頭が熱くなっている。さらに記事を読むと、日本語の芸術ともいえるすばらしい文章がある。もう一度写真を見つめ直す。何度も見直し、読み返し、我々のような写真を見慣れた人間にも「感動」を与えてくれる。1枚の静止画から伝わるものがこれほど多いものかと新聞報道のすばらしさ、誇りのようなものを再確認した。

思い返せば平和な日々、やれ「タイミングが・・」とか「ピントが・・」とかの次元でなんとなく日々を送っていたことを反省させられた。綺麗な景色や華やかな美女の写真もいい。スポーツの決定的な写真もいいだろう。

しかしながら、報道写真の真髄は単なる記録ではなく、日本人の心の奥底にあって現代社会で忘れかけているやさしさや思いやりのような「グッ」とくるものを1枚で訴えかけるところにあるのではなかろうか。撮影者が表現したい気持ちを念じなければ写せない奥深い写真。心に染みる絵本のように読んだ後でじわ~っとくる感じ。語弊はあるけど「いい写真だ・・」とつぶやける写真。何度も読み返したくなるような「あ~わかるよ」という含蓄のある写真だ。連日各紙の写真は心に染み入る。被災からしばらく経ち、このコラムを執筆させていただいている今も時折強い余震が続く。

福島原発周辺では最悪の事態を免れようと命がけで全力の作業が続いている。9日ぶりに奇跡的に救出という明るいニュースもあった。日本中、いや世界中が固唾をのんで進展を見守っている。取材活動も困難を極めているだろう。悪条件の中、頑張っているプロカメラマンの1枚でまた明日も「グッ」とくるだろう。新聞報道写真。静止画の重みを改めて痛感した。