昨年12月26日午前11時30分。東京・九段北の靖国神社の上空は報道機関のヘリコプターが飛び交い、ふだんは静かな年の瀬の神社周辺は喧騒に包まれた。モーニング姿の安倍首相が拝殿から本殿に向かう途中の姿を上空からとらえたテレビの中継映像に思わずくぎ付けとなった。わずか20分ほどの電撃参拝。中国や韓国の反発に加え、同盟国の米国が異例の失望感を表明したのはちょっと予想外だったが、首相の靖国参拝に対する中韓の反発は1985年の中曽根康弘元首相の公式参拝以来、幾度となく繰り返される光景だ。そんなこともあって、今年の終戦記念日も内外から注目を集めた同神社だが、表面的な静かさとは裏腹に周囲の環境は大きく様変わりしたようにも思える。

政府与党は7月1日、これまでの憲法解釈を変更し、歴代内閣が行使できないとしてきた集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に踏み切ったからだ。将来、戦闘地域に派遣された自衛隊員の中に「戦死者」が出ることも予想される。そうなれば、靖国神社へ戦死自衛官の合祀も論議されるであろう。第一次世界大戦中、同盟関係にあった英国などからの要請を受けて海外に派兵した陸・海軍の戦死者を合祀した前例もある。この時、地中海に派遣された日本海軍の第二特務隊は、ドイツの潜水艦からの無差別攻撃にさらされた同盟国の英仏の輸送船などの護衛という「限定」目的だった。

戦後、陸・海軍省が解体され、国家の管理から離れた靖国神社は一宗教法人となったが、終戦時点で未合祀のままとなっていた200万人超の太平洋戦争や日中戦争などの戦死者の合祀を旧厚生労働省などの協力を得て進めてきた。

また、1968年、公務中の交通事故で殉職した自衛官が山口県護国神社に合祀されたというケースもあった。このケースでは自衛官の遺族が合祀の取り消しを求めて訴訟となったが、最高裁は遺族の訴えを認めた控訴審判決を破棄し、同護国神社への合祀を認めた。その他にも、護国神社への殉職自衛官の合祀はあるという。

しかし、戦争放棄をうたった日本国憲法下で戦後初の「戦死者」が生まれ、靖国神社に合祀されるという事態ともなれば、その意味合いは決定的に違ってくるだろう。日本が戦後、二度としないと誓った戦争に突入し、長かった「戦後」の終わりを意味するからだ。国家間の戦争状態での戦死者であり、平時における殉職自衛官の護国神社への合祀とはわけが違う。靖国神社への合祀となれば、首相が戦死自衛官を合祀する儀式に参列することも検討されるだろう。これまで自衛隊が戦闘地域に派遣されていないため、戦死者を出さなかっただけにすぎないが、これからは政府の方針で戦地に赴く以上、戦死者は国家の殉職者となるからだ。

もちろん、戦死自衛官を合祀するか否かの決定権は靖国神社側にある。事はそれほど簡単ではないようにも思えるが、同神社のこれまでの在りようからすれば、意外とすんなりと合祀されるかもしれない。しかし、凡人には未来のことは全く予想できない。

小泉純一郎元首相が公約通り、靖国神社を参拝した2006年8月15日の終戦記念日、私は同神社の境内にいた。当時担当していた「こちら特報部」の終戦記念日恒例の「靖国ルポ」の取材だった。一日で外国人を含め老若男女約25万人が参拝に訪れ、境内は異様な熱気と興奮に包まれた。元首相の予告参拝があったとはいえ、この熱気の正体は一体、何だったのか。その答えがナショナリズムであるならば、一触即発も伝えられる尖閣諸島の問題を含め冷静に報道していかなければならないと思う。

今年は第一次世界大戦から100年。そして、来年は戦後70年目となる。戦争の世紀であった20世紀とどう向き合い、写真で何をどう伝えていけばいいのか。自問自答はしばらく続きそうだ。