10年以上、スポーツ新聞のカメラマンとして現場で取材に臨んでいるが、一瞬を切り取ることは撮影の前の準備から始まっていると思う。必要なのは競技や被写体に関する知識をしっかり頭に入れること、そして被写体をよく観察することだ。競技を理解して選手の性格やフォームなどの特徴を掴まなければ、次に起こりうることの予測や自分が撮影したい絵になるシーンをイメージすることは難しい。

 2011年8月 に韓国・大邱で行われた世界陸上を取材した。男子100メートル決勝の大本命は世界記録保持者のジャマイカ代表、ウサイン・ボルトだった(写真①)。私は1位でゴールをかけ抜けた後の表情を狙おうと正面で300ミリのレンズを構えていたが、スタートでボルトがまさかのフライング。肩を落としながらトラックを後にするはるか遠くの世界最速の男を追い続けたが、持っているレンズでは焦点距離が足りなさすぎた。1位でゴールした後のボルトの派手なパフォーマンスをうまく撮影することで頭が一杯で、スタートで失敗することまで想定できていなかった。そして、まさかの出来事こそニュースとなるわけで、その大会のハイライトはボルトのフライングになってしまった。

 このときの私は陸上の国際大会の取材が初めてで、経験が少な過ぎた。反省を生かそうと翌12年のロンドン五輪男子100メートル決勝では300ミリのほかにスタートも狙える600ミリのレンズを持参して撮影に臨んだ。今度はアクシデントもなく、下馬評通りにボルトが優勝し、私の苦労は完全な徒労に終わった。だが、経験を積み競技全体の流れや起こり得ることが分かってくると、様々な状況に備えた準備が可能になる。

 現場に早く行って状況を確認するのも大事だ。体操などあらかじめ決められた演目を大会で披露する競技では、試合前の練習を見ないと細かい位置取りを決められない。ターゲットとする選手の応援団の位置を確認すれば、選手が歓喜のガッツポーズ繰り出す方向の予測が立てられる。それらの準備こそが、他のカメラマンと違う、より優れた一瞬を撮影するための最も確実な方法なのだろうと思う。

 一つの試合や大会にはふさわしい一瞬がある。ハイライトとも言い換えられるそれを切り取るためには、被写体のバックグラウンドを十分に理解することが重要となる。

 私がプロ野球の巨人担当カメラマンになって初めての2013年にドラフト1位ルーキーとして入団したのが、いまや日本代表にも選ばれ、チームの絶対的エースとして君臨する菅野智之だった。東海大4年の時に日本ハムの1位指名を受けたが、叔父の原監督(当時)が率いる巨人への憧れが捨てきれず1年間浪人した右腕。プロ入り初勝利は同年4月6日、東京ドームの中日戦で訪れた。調子自体はよくはなかった。8回4失点は黄金ルーキーにとって、本来なら不本意な内容で勝利を素直に喜べなかったのかもしれない。でも、この試合に関しての勝利は菅野にとって違う意味を持っていた。その他のルーキーたちの初勝利に比べても、である。

 東海大学に在学しての浪人生活は大学野球の規定で対外試合に出場できなかった。目先の目標のない1年を本人は「心が折れそうだった」と振り返る。巨人への強いこだわりを楽天・星野監督、DeNA・中畑監督(いずれも当時)から批判されることもあった。それらを大々的に報じるマスコミに対して不信感を覚えたこともあったはずだ。菅野にとっては自分自身の選択を正しかったと証明するための負けられない試合だった。

 本拠地で初めてのヒーローインタビュー。私は菅野の右手に握られたウイニングボール延長線上に菅野の顔が入る正面やや左の低い場所に潜り込んで撮影すると決めた。特別な意味を持つウイニングボールと一瞬の表情を同時に写し込みたかったからだ。

 最初の質問で初勝利の気持ちを尋ねられた菅野は「本当に最高です」とつぶやき、ほんの一瞬、右手のウイニングボールに視線を落とした(写真②)。長い苦しみと大きなプレッシャーから解放された嬉しさや安堵だろう。様々な思いから目が潤んでいた。縦位置で構えて待っていた私は反射的にシャッターを切った。そのとき以外、負けん気の強い右腕が心の内を覗かせることはなかった。その試合のハイライトはほんの一瞬だった。試合前の準備を怠っていたら、きっと撮り逃していただろう。

 被写体のバックグラウンドを知ること。被写体と直接コミュニケーションをとりながら性格を掴むことも、行動を予測するための有効な手段となる。その上で自分が切り取りたい一瞬をイメージすることが大事だ。その結果として切り取ることが出来た写真はどんな説明や文章よりも被写体の気持ちを雄弁に物語ることがある。そして何より、自分の頭の中のイメージと実際に撮影した写真が重なることがカメラマンとしての大きな到達点なのだと思う。

 オートフォーカスや画素数などといったデジタルカメラの性能が急速に進歩し、誰でもシャープな写真を撮影することが容易になった。弊紙でも、ペン記者がスマートフォンで撮影した写真が何度も大きく紙面を飾っている。そのような状況の中でプロカメラマンに求められるのは被写体に対する、一瞬に対する執着心なのではないかと思う。競技に対する知識を身につけ、様々な状況を想定して重い機材を持参する努力。被写体のことを知り、行動を予想しながら撮りたい写真をイメージして頭の中でシミュレーションを繰り返すこと。撮影の前から始まる、1枚にかけるこだわりこそがアマチュアとプロを分ける最大のポイントとなるのではないだろうか。それは基本的なことだけれども、プロカメラマンの経験を積めば積むほど、おざなりになりがちなところでもある。シーンをおさえることに追われて忘れてしまうこともあるし、現場の慣れもある。各新聞社ともインターネットでのニュース配信が当たり前となった今では写真の繊細なクオリティーを差し置き、顔の見えるだけの写真を早く送信することが重要視される風潮もでてきた。

 今回は、自分に対する戒めも含めて書いたつもりである。キャリアを積んでも、常に謙虚であり続けること。時代が進んでも自分なりの撮影のイメージを常に持ち続けること。そしてそれを写真として形にするための準備を怠らないことが大事だ。

 1日で現場を掛け持ちしなければならない多忙な日々でそれを続けていくのは大変なことだ。しかし、イメージ通りの一瞬を切り取ることが出来たときは、苦労した分、喜びも大きい。プロカメラマンとして取材の現場で働く醍醐味なのだと思う。


2017年5月(日本新聞協会発行「新聞研究3月号」掲載より)