コラム
「仕事とボディビル」
(2015年の東京オープン65キロ以下級で。筆者は右端)非常に個人的な話で恐縮だが、昨年、46歳にしてボディビルデビューした。
一昨年、現場のカメラマンから社内勤務のデスクになり、運動不足解消と気分転換にと通っているジムで始めてみたのだ。
ボディビルはトレーニングと食事での増量と大会に向けての減量で肉体を作りあげる。所属のゴールドジムのトレーナーに相談し、まずはベテラン選手に弟子入り。大会に向けての“いろは”を教わった。大会4カ月前からの減量方法、脂肪を落とすための有酸素運動、規定7ポーズの練習、筋肉のメリハリを見せるための日焼け(タンニング)など盛りだくさん。多くの時間をボディビルに費やすことになった。減量中は仕事での集中力を切らさないようにするため、忙しくなる夕方にだけ、炭水化物を摂取するようにした。深夜2時過ぎまでの勤務の時には、24時のおやつに“さしみこんにゃくプロテイン20グラムかけ”を食べた。
「これを機に、心身ともに鍛え直してみよう」
ボディビルは、精神の限界を自分で試すスポーツでもある。減量に耐えながらの仕事、トレーニング、生活。甘い食べ物の誘惑、ストレス。逃げ道、言い訳はたくさんできる。いかに自分と向き合っていけるかが勝負。そう思ってバーベルを握り続けた。
事前に立てたメニューを粛々と遂行していた矢先の大会2週間前、左足の小指をぶつけて骨折してしまった。これも修行なのか。松葉杖をつきながら会社とジムへ通った。会社では机の下でアイシングをして炎症を抑えながら仕事をした。
ドーピング検査があるので、鎮痛剤も控えた。大会2日前から塩と水抜きを行うと、大会当日の予選直前のパンプアップで足が同時に5カ所痙攣。これも修行か~!?脂汗か冷や汗かわからないものに包まれた。下半身が全く動かず、水を2リットル飲み干してなんとか歩けるようになった時にはお腹はチャポチャポ。あえなく予選敗退となった。
夜の打ち上げでは食べ過ぎたのか、翌朝には6キロも増えていた。直後のトイレでは力み過ぎて痔になり、専門医で全治2カ月と診断された。しばらくの間、会社では椅子に座るのが辛いデスクワークとなった。46歳、苦過ぎのボディビルデビューであった。
1年目の反省点を生かして臨んだ今年の東京オープンではマスターズ40歳以上級で3位になった。胸、背中、肩、脚の4分割、週4トレーニングを1年間休むことなく続けたご褒美だったのかだろうか。
貴重な出会いもあった。
同じ大会に出場したお笑いタレントのオードリー春日だ。
「肉体づくりをしてる春日のインタビューって面白いんじゃない?」と芸能担当記者と企画し、大会当日に掲載されるようインタビューを行った。そこには自らカメラマンとして取材に行かせてもらった。記者も含めて同じゴールドジム所属。3人でトレーニング談義に花を咲かせた。その後ジムでも顔を合わせ、「調子はどうですか?」など言葉をかわした。
また、同じジムのなかやまきんに君は春日と同じ75キロ級で今年の大会は2位に輝いた。ジムでトレーニング後はいつもラップに包んだ蒸したささみをちぎりながら食べている。「大会後もストイックですね」と話しかけると、にっこり笑い返してくれた。2人とも芸能の不規則な仕事をしながらのトレーニングで肉体づくり。立派である。
今夏メダルラッシュの柔道男子日本代表のフィジカルコーチとしてリオ五輪に帯同していた日体大の岡田隆准教授はブラジルから帰国して2週間後の社会人選手権で初出場、初優勝の快挙を成し遂げた。五輪期間中のトレーニングや減量などは思うようにできなかったはず。先日、話す機会があったので聞いてみたら、帰国後に減量をしながら朝と夜にトレーニングするダブルスプリットで仕上げたという。これこそ精神力が表れた結果だろう。さすが筋肉博士だ。
そういえば西武ライオンズ担当時代、平尾博嗣選手が言っていた。
「田中さん、最後は気持ちなんですよ」
スポーツ選手の気持ちが少しわかったような気がした。
仕事も趣味も、“気持ち”を大切にしたい。
2016年11月