安全の押し問答

「なぜ取材をさせないのか、理由は?」「おたくの社の希望にはそえません!」。その日、私は港区にある東京都中央卸売市場食肉市場の正門前で、都の職員と1時間にわたって押し問答した。



 2001年9月に千葉県内で発生した得体の知れない牛の病気、牛海綿状脳症(BSE)に国内の畜産農家は頭を抱えた。人間に感染する可能性もあるとの海外事例もあり、消費不振が極まり牛肉価格は大暴落、市場取引も中止になった。



 国はこの事態に対応するため、国内の牛をすべて検査する緊急対策に乗り出した。当時、取材記者だった私は、「検査済みの牛肉のせりを再開する」との内容の東京都の会見に出席した。せり場を記者に見せ、別室で市場長が概要を説明し「検査済みの枝肉には安全の判を押します」と発言し、会見は終わった。



 この内容をデスクに伝えたところ、「判を押した枝肉の写真をすぐに送稿しろ」との指示。「撮影の時間は設定されていませんでした」と答えた後は、電話口からお定まりの言葉が飛んできた。「ばかもん、何とかしろ」。ここから都の職員と押し問答が始まったのだ。こちらは牛肉の安全性をアピールする原稿と写真を撮りたい一念。しかし、頑な都職員の態度は覆らず。「もういい。頼まん。自分で何とかする」と一撃をかまし、知り合いの仲卸業者に直談判。「そうゆうことなら、力になるよ。ついてきなさい」と市場内の冷蔵庫に案内され、同行の写真部記者(現・福本卓郎写真部次長)が快心のショット。これに「安全の太鼓判」の見出しを付けて、紙面に掲載することができた。このカットはこの年の報道写真展で展示されたことは記憶に新しい。



 食料自給率が4割を切る日本。国産、輸入物を問わず、食の安全は全国民の願いだ。生産、流通、消費の一連の流れを、カメラで追い続けていきたい。



2009年7月