「張り込み」に思う

 夏休み期間中は「政権交代」の総選挙で美人候補者や当落予想でも特集しようかなぁ・・・

なんてのんきな事を考えていたら、お盆前にほぼ同時に起きた押尾学と酒井法子の2つの事件で、てんやわんやの大忙しになってしまった。毎年8月は弊社のような駅売り主体の新聞は「夏枯れ」といわれる現象に見舞われ、部数が落ちるのが常なのだが、読者のこの事件への関心の高さからか、わずかながら販売部数を伸ばしてくれた。



 ネタを拾ってくる記者ももちろん大変だが、なにより大変だったのは現場カメラマンだ。逮捕や送検で警察車両の透かし撮りは私自身も何度か経験があるが、いざ本人を乗せた車両が来る時には独特の緊迫した空気やアドレナリンが出て戦闘体制に入る。場数を踏めば踏むほど落ち着いて撮れるようになるのだろうが、最初のうちは違う人物を写してしまったりガラスにストロボが反射したり、あるいは光ってなかったり、ギラギラとした感じが目立ちすぎて警官に邪魔されたりと散々な思い出がある。



 今回の事件の中継を見ていても、規制されているエリアもあっという間に無法地帯になり、カメラマンが転んでいたり機材がふっ飛ばされていたりと、まさに昔と変わらぬ修羅場だ。ロス疑惑の三浦和義逮捕、オウム真理教の強制捜査で極寒、濃霧、悪臭、雨でぬかるむ上九一色村の張り込み。「絶対に負けるなよ!」と先輩に送り出された思い出がよみがえる。



 先日の押尾被告保釈の際には関東に接近した台風11号の影響で強風と土砂降りの雨の中、三田署や三田署以外の持ち場で保釈の時に備え、ずぶぬれになりながら張り込んだカメラマンの苦労を考えると現場は大変だとつくづく思う。もちろん取材にはもっともっと過酷なものもたくさんあるだろう。しかし現場を離れて今、記憶に残る思い出とは、こういった修羅場で同業他社の方と同じ目的のミッションに参加し小競り合いや助け合いをしたという一体感が一番の良い思い出だ。「同じ釜の飯」を食ってきた仲なのだろう。



 現場にいたものだけが撮れる写真はうそをつけない。どこの社がどこで何を撮ったかも瞬時にわかる。事件現場は、みんなが公平に撮れるわけではなく明暗が分かれる現場だ。現場にいなければ撮る権利さえないからお地蔵さんのようにどんな状況でもひたすら待つ。あるときは非情な運にも左右される。撮れたのか撮れなかったのかで疲労感は天地ほど違う。撮れれば祝杯、撮れなければやけ酒だ。



 通常の取材と違い「張り込み」は待ち時間に情報交換をしながら飛び交うデマにもざわめき翻弄される。時にはさまざまな暇つぶしをしながら自身のいろいろな事を考える時間もあるだろう。

長くいればいるほど、交代要員と交代するとすぐにチャンスがやってきそうで交代したいのに交代したくなくなる。そんなジレンマとも戦いながら有事の際のリハーサルをして無念無想の境地に到達する。



 今は部員を送り出す立場だが、きっとみんな悪条件の取材に腐らず、修羅場を前向きに経験することで自信を持ち、よりステップアップしてくれると信じている。



2009年10月