日本新聞博物館主催の「2010年報道写真展 記者講演会」が11年1月22日、同館のニュースパークシアターで開かれました。日ごろ目立たない写真記者たちの地道な取材活動などを一般の方々に知っていただき、理解を深めてもらおうと企画されました。講演したのは、2010年東京写真記者協会賞を受賞した「生物多様性~支え合ういのち」の産経新聞東京本社写真報道局・大山文兄さんと一般ニュース部門賞(海外の部)の「わずか13日間の命 ハイチからの報告」の毎日新聞東京本社・梅村直承さん。コーディネーターとして東京写真記者協会事務局長・花井尊が参加しました。新聞紙面では語りつくせない写真報道や裏話、激変する現代社会で報道写真に求められていることは何かなどをディスカッション、質疑応答した中からの抜粋です。

[冒頭あいさつ]東京写真記者協会事務局長・花井尊
 寒い中、このように満員の人たちが東京写真記者協会所属の2人の写真記者の講演会に来ていただいて誠にありがとうございます。始める前にざっと当協会の組織を説明させていただきます。東京写真記者協会は、当ホームページにも載っていますが、首都圏に本社を置く新聞社、通信社、放送(NHK)の各社と一部地方紙が加盟している任意団体です。平成22年1月現在の加盟社は34社です。当協会の目的は、自由公正な写真取材のため、連絡、調整を行い、写真報道を通じて社会の進歩発展に寄与することです。また、年末に日本橋三越本店、年始に横浜の日本新聞博物館で開く恒例の報道写真展を開催し、その記念写真集を出しています。それでは、順番に講演していただきます。

[第1部・受賞報告]抜粋
◎「生物多様性~支え合ういのち」
産経新聞東京本社写真報道局 大山 文兄

▼ 受賞作品の概要・経緯・ねらい
 産経新聞写真報道局の大山です。本日短い時間ですが講演させて頂きますのでよろしくお願いします。20年以上、新聞社のカメラマンを職業としておりますが、自分の撮影したいと思う対象を撮影出来るようになったのはここ数年のことです。残りの20年近くは依頼された取材の撮影やら、ただ仕事をこなしてきただけかもしれません。

 そんな取材生活の中で、3年前から新潟県佐渡市で野生復帰を目指して自然界に放鳥されたトキの撮影を行うようになりました。残念ながら繁殖を2回失敗し、今年こそは成功してもらわないと困るのですが、今回の野生動物の撮影もそんなトキの撮影があったからこそ思いついた企画でしたし、昨年はタイミングよく国連の定めた生物多様性年でした。

 まずは写真を見ていただきたいのですが、今回写協賞を頂いた写真はこの7枚です。撮影順にこれまで産経新聞に掲載された写真を見て頂きたいと思います。今回の企画では私のほかに5名のカメラマンが携わりました。今回受賞したのはそのうちの4名の写真です。

 一番目がシマフクロウなんですが、この木からエサを狙って急降下する写真が自分の中では好きなんですね。しかし組み写真としてまとめた場合、どうしても一枚一枚が弱くなってしまいます。ですから野生動物の眼力、ぬいぐるみでなく生きている自然の姿を、多くの掲載写真の中から選び出しました。

 2番目はエゾクロテンですが、このエゾクロテンは佐渡でトキを襲ったテンとは違います。トキを襲ったのはホンドテンと呼ばれていて、このエゾクロテンは北海道だけにしか生息していないので準絶滅危惧種になっています。近年ではホンドテンは人間が持ち込んだのですが、北海道でも勢力を伸ばしています。この撮影にはストロボを2灯使用していますが、今回の撮影では野生動物の生息地で、スタジオのようにライティングにもこだわりました。

 通常、野生動物を撮影すると目が赤く光ったりします。これはレンズとストロボが同じ角度だと赤目現象と言って光ってしまうのですが、2灯ストロボを使用することでこの赤目を防ぎ自然な感じで撮影することが出来ます。この撮影はけもの道にカメラとストロボをセットし、遠隔操作で撮影を行っていますが、雪の中で8時間近く待ち続けました。

 次はトキですが、トキは非常に臆病な鳥で警戒心がとても高いです。そのため殆どは車の中から撮影を行っています。この雪の中を舞うトキはトキが来るであろうエサ場の中でも湧き水で凍らないエサ場に狙いを定め、やはり雪の中で8時間近く待ち続けて撮影できた写真です。

 私の場合はトキをはじめ野生動物の撮影に1週間から2週間と、新聞社の撮影としては長い時間を会社が許してくれました。そのため例え撮影できない日が数日続いても、焦ることなくじっくりと撮影に望めたと思います。
また、常に野生動物を撮影するときに心がけていることが、撮影するのではなく撮影させてもらうという気持ちです。そんな気持ちのおかげか、最終日に良い写真が撮影できたり、逆に動物たちに助けてもらっているのです。

 今回の撮影の中でも幻の魚と呼ばれているイトウの撮影はもっとも難しい撮影の一つでした。普段は見ることも出来ない巨大魚のイトウが、繁殖期のわずか数日間だけ川幅の小さな上流部に上ってきます。このイトウの産卵風景を撮影するには水中でその様子を撮影しないとならないのですが、20年以上イトウの撮影を行っている産経新聞のOBのカメラマンの方にその撮影方法を教えていただきました。

 詳細は詳しく話せないのですが、遠隔操作でシャッターを切っています。この撮影に手を上げたのが入社して1年目の女性カメラマンでした。なぜ彼女がイトウを撮影したかったというと、学生時代にサケの研究を行っていたからというだけです。一年生でも大事な現場へやる気さえあれば出してくれるのが産経新聞の良い所かもしれません。ただし冬眠からさめたヒグマもいますし、付き添いとして私も同行しました。

 今回の撮影では北は北海道から南は沖縄まで14地域、17種の様々な動植物を撮影してきましたが、一番撮影したかったイリオモテヤマネコはこの後姿しか撮影できませんでした。イリオモテヤマネコの撮影では5台の無人カメラを2ヶ月かけて製作しましたが、カメラを仕掛けた9月、10月は繁殖期前で一番動きが鈍い時期だそうです。どんなに警戒心が高い野生動物でも、この繁殖期には人間と一緒で恋に夢中になり行動も活発になります。

 本当はイリオモテヤマネコも繁殖期を狙えば良かったのですが、すでにこの企画が始まった時点では終わってしまっており、最終回にイリオモテヤマネコで飾りたいという気持ちがありました。人間の希望通りにはなかなかならず、台風で機材が水没したり結局1ヶ月半の撮影期間で写し出されたのはこの後姿で歩く1コマだけでした。

 無人カメラでの撮影は、センサーがシャッターを切るため、撮影したのは機械のセンサーじゃないかという人もいます。しかし私は違うと思います。なぜなら、確かにシャッターを切ったのはセンサーが反応した信号かもしれませんが、カメラの角度やセンサーの位置、画角などすべて計算してシャッターが切れるようにセットしてあるからです。

 設置にも一箇所1時間以上掛けて入念にセットします。自分の目、指となるセンサーに委ねているだけです。ハンダコテで作ったのも自分ですし、だからこそセンサーが撮影したのではなく、自分が撮影したと思っています。

 時間が長くなってしまいましたが、これで私の撮影報告とさせていただきます。
ありがとうございました。

◎「わずか13日間の命 ハイチからの報告」
毎日新聞東京本社写真部 梅村 直承

▼ 受賞作品の概要・経緯・ねらい
毎日新聞の梅村です。今回、一般ニュース部門賞(海外)を頂いた写真取材のいきさつを話させていただきます。
 1月12日、ハイチ大地震の発生後、15日に成田を立ち、16日の夜中にドミニカのサントドミンゴ空港へ着きました。タクシーに乗って6時間ほど走り、明朝にハイチとドミニカの国境の町、ヒマニへ。先に現地入りしていた記者と合流しポルトープランスへ向かいました。ポルトープランスへ近づくにつれて建物の被害が見られるようになりました。ポルトープランスについたのは、昼過ぎ。30度を超える暑さと瓦礫から立ち上る臭いに、立ちくらむようでした。至る所に遺体が置き去りにされていたのもショックでしたが、なによりも建物の壊れ方に驚きました。ハイチ大地震では30万以上の犠牲者がでたといわれています。今にして思えば、その数字も納得ができる瓦礫の山でした。

 毎日の取材はドミニカ側の国境の町・ヒマニから車でポルトープランスへ向かいました。100キロほどの距離なのですが、避難者の車、救援物資を運ぶ車、重機を運ぶ車両、悪化した道路のせいで、片道4時間以上かかる日も多かったです。まず、朝、ガソリンの確保から始まります。ガソリンが不足しており、スタンドで1時間ほど並んで手に入れました。それから、水、食料の確保。水は500ミリのペットボトルを毎日、50本ほど買いました。それから食料は、クッキーを買い込みました。朝から晩まで、ドミニカに帰ってくるまで、水とクッキーだけですごしました。道路が悪くて4度ほどパンクをしたことも苦労した原因です。100キロ以上で走行中にタイヤが破裂した時は、無事を記者やドライバーと喜びあったものです。

 震源地に近い町、レオガン。地震で孤立した町、ジャクメル。7万人以上の身元が確認されず埋葬されていたティタンエン。車や国連のヘリコプターに乗るなどあらゆる手段をかけて、いろいろな場所に取材しましたが、取材を重ねるたびに胸が痛んだのは、救援物資を奪い合う姿です。見ていてとても辛くなりました。奴隷黒人の国で、世界で一番初めに独立した国なのですが、1957年から86年まで続いたデュバリエ親子による独裁を元凶として、国は荒廃し続けたのでした。その荒廃は人々の心も蝕んだようです。全壊したマカジュ通りというハイチで一番大きい商店街では、毎日のようにつぶれた商店から物資を略奪する被災者の姿が見られました。どの避難所で配られる水に並ぶ被災者は必ず列が崩れ、ののしり合っていました。極めつけは全壊した大統領宮殿前で国連治安維持部隊が食料を配った時でした。2万人以上の被災者が配布に殺到。コントロールできなくなった、治安維持部隊が威嚇発砲を始めました。こん棒で叩かれる被災者。少年は銃の音に恐怖の表情を浮かべていました。卒倒した妊婦が治安維持部隊に運ばれていきました。無事だったのでしょうか?部隊が去ったあとも人々は物資を奪い合っていました。

 暗澹とした気持ちで取材をしていた24日、全壊した大統領宮殿前の避難キャンプで、フレディちゃんを抱きしまる、母親のスーズさんに出会いました。一面のがれき、ひしめくようにテントが立つなか、きれいな産着を着ているフレディちゃんの姿に、母親の愛情を感じました。初めてハイチに来て温かい気持ちになれました。3時間ほど取材をした後、遠くから二人を見ているとスーズさんがフレディちゃんの小さな、小さな手にキスをしていました。ちょうど日本にいる妻のお腹に子どもがおり、生まれた後の姿を想像し、思い重ねたのかもしれません。フレディちゃんが育つ姿がハイチの復興の象徴になればと思いシャッターを押しました。しかし、25日容態が急変して、亡くなってしまいました。わずか13日間の命でした。栄養失調だったそうです。26日にスーズさんに会いに行きました。彼女は大粒の涙を流しながら、ぬいぐるみを離しませんでした。フレディちゃんの替わりだったのでしょうか。あまりに悲しい、救いのないハイチの大地震でした。

[第2部・ディスカッション、質疑応答]抜粋
コーディネーター:東京写真記者協会事務局長・花井 尊
<花井>大山さん、今回の企画で切り口など特に心掛けたことは?
<大山>まず、野生動物の撮影は生息地に行っても必ず撮影できるわけではありません。しかし少ないチャンスで、また自然の姿をそのまま撮影するために無人カメラや遠隔操作を多用しました。今までで一番工夫した取材かもしれないです。
 また、撮影地を案内してくださる方、水中写真の特殊な撮影方法のコツを教えていただいた方など、周りの方々に大変お世話になってこの企画は成立しました。その意味で支えて頂いた多くの人たちに感謝しています。

<花井>梅村さん、写真取材の信条みたいなものは?
<梅村>できるだけ被写体の名前を聞くということ。よくキャプションで、たとえば「涙を流す女の子」というものがあるが、撮られた人の名前がないとリアリティが薄れます。また、名前を聞くことで少なくともコミュニケーションが成り立ち、被写体との関係が生まれ写真が変わると思います。もう一つは被写体に感情移入して写真を撮るということ。撮った本人の感情が動いていない写真は見ている人にとっても何かを感じるのは難しいと思います。

<花井>会場からいただいた質問からですが、「写真は一瞬一瞬を伝えるものであり、テレビのような映像と比べ部分的なことしか伝えられない気がします。そんな中、写真を通じて人々に訴える、伝える意義は何だとお考えですか」とあります。大山さん、動画と一枚の写真を比べていかがでしょうか。
<大山>テレビで記者会見の映像を見ていると、物凄い音のシャッター音が聞こえてきます。まるで機関銃のようですが、私が若かった頃、フィルムの時代は36枚撮り1本で完結しろとよく言われました。
 しかし今の時代は撮影枚数の中から良い画像を選ぶといった撮影方法に変化しているのかもしれません。10年後にはテレビも現在のハイビジョンからスーパーハイビジョンに変り、同じ大きさの映像素子を使用しているとなると、テレビと写真の違いがなくなるかもしれません。
 現在でも新聞やインターネットではテレビの映像をコマ落とししたものでも区別がつかなくなってきています。そうなると写真はこのままでいいのかと疑問に思うときもあります。しかしまだまだ映像とは違い、一枚の瞬間を切り取った写真には高いメッセージ性があり、動画映像に負けないようにカメラマンも時代とともに変化していかなければならないと思います。

<花井>梅村さんはどうお考えですか。質問の中には、「梅村さんのお話を聞いて、涙が出た」という人もいます。
<梅村>ツイッターやブログというものが情報発信の媒体として支持されています。おそらく個人の感覚や感情が情報として重要になったのだと思います。写真は動画に比べて、部分的なことを切り取る分、撮ったカメラマンの感覚や感情がより反映される媒体です。だから、これからはより一層、写真を撮った本人の「なぜ撮ったのか」「どう感じたのか」が大切なのだと思います。さらに、そのカメラマンの個人の思いが見る人に伝わる見せ方が必要だと思います。ネットで写真を見せる「場所」が増えている今、写真を見せるチャンスが増えていると、わたしは前向きに考えています。

<花井>今後の取材に対する抱負や心掛けていきたいことはありますか。
<大山>今後ですが、今年に入ってから実は一度も紙面に自分が撮った写真が掲載されていませんし、取材にも出ていません。宣伝になるかもしれませんが、1月の17日から産経新聞ではインターネネットで写真を見て楽しむ「MSN産経フォト」というサイトを始めました。私は今、そちらのお手伝いをしておりまして新製品のカメラや撮影機材のレビューを行っています。いずれ現場には戻ると思いますが、戻れたら事件事故の取材よりも、競争のない好きな野生動物の撮影に新たな挑戦をしたいと思っています。

<梅村>命が動く現場で、「人」に向き合って、「人」にこだわって写真を撮りたいと思っています。また、今回はハイチの絶望、救いのない写真ばかりを撮りました。許されるのならばいつかハイチで希望を撮りたいと思っています。

<花井>時間がきました。ありがとうございました。これからも本日の講演を糧に自分に与えられたチャンスを逃すことなく頑張ってください。また、この講演会が写真取材の実情やジャーナリズム、報道の使命、役割など少しでも理解していただければ幸いです。

≪日本新聞博物館が行った記者講演会アンケート結果・一部抜粋≫
・春から新聞記者として働くことが決まっている。記者になる前に話が聞けてよかった。自分もお2人のような、人の人生に寄り添えるような記者になれるようまい進します(20代・男性)
・興味があったのでとてもよかった(60代・女性)
・感動した(60代・男性)
・現場のリアリティーのある話が聞けてとても面白かった。記者の方々は1枚1枚命をかけて撮っているのだと思った(20代・男性)
・1枚の写真を撮る大変さがよくわかった(50代・男性)
・動物(生き物)と人間を撮るカメラマンの対比が参考になった(60代・男性)
・報道から動物(生き物)に移ってそれなりに苦労がある事も分かった(60代・女性)
・1枚の写真が紙面に出るまでの苦労がよく分かった(60歳以上・女性)
・現場での詳しい話と大きな画面で感動した。取材の費用なども聞きたかった。写真を撮る際に嫌がられたり、クレームを付けられたりすることはなかったのだろうか(50代・女性) 
・1枚のカットを撮るまでの段取り、事前取材の大切さを知った(40代・男性)
・ハイチ取材のリポートには心が打たれた。殺伐とした真実を撮りつつも、その中に愛ある物を探したという話は感動したが、続けて取材していくと、悲しいドラマに出会うことにもなると知り、梅村さんの心情はいかがかと思った(40代・男性)
・非常に勉強になった(20代・女性)
・昨年も参加し、今年もとても楽しみにしていた。現在就職活動中で新聞記者を目指している私にとって記者の苦労話や地道な取材、忍耐などを聞くことができてとても参考になった。来年も楽しみにしています(20代・男性) 
                   以上