(定員120人満席)
【2009年報道写真展 記者講演会】
日本新聞博物館主催の「2009年報道写真展 記者講演会」が10年3月6日、同館のニュースパークシアターで開かれました。写真記者たちの取材活動などを一般の方々に知っていただき、理解を深めてもらうため企画されたものです。講演したのは、09年度東京写真記者協会賞「奇跡の生還」の東京新聞編集局写真部・澤田将人さんと文化・芸能部門賞「辻井伸行-全盲のピアニストに『光』-」の産経新聞東京本社写真報道局・鈴木健児さん。コーディネーターとして東京写真記者協会事務局長・花井尊が参加しました。日頃の取材活動、新聞紙面では語りつくせない報道への思いや取材時の裏話、現代社会で報道に求められていることなどをディスカッション、質疑応答した中からの抜粋です。

[冒頭あいさつ]東京写真記者協会事務局長・花井尊

 雨の中、このようにたくさんの人たちが東京写真記者協会所属の二人の写真記者の講演会に来ていただいて誠にありがとうございます。始める前にざっと当協会の組織を説明させていただきます。東京写真記者協会は、首都圏に本社を置く新聞社、通信社、放送(NHK)の各社と一部地方紙が加盟している任意団体です。平成22年1月現在の加盟社は34社です。当協会の目的は、自由公正な写真取材のため、連絡、調整を行い、写真報道を通じて社会の進歩発展に寄与することなのです。また、年末に日本橋三越本店、年始に新聞博物館で開く恒例の報道写真展を開催し、その記念写真集を出しています。また。東京写協ホームページでは、「一押し、この1枚」の写真や各社写真部長が担当するコラムなどを発信しています。それでは、順番にお二人から講演をしていただきます。

[第1部・受賞報告]抜粋

◎「奇跡の生還」

東京新聞編集局写真部 澤田 将人
▼ 受賞作品の概要・経緯・ねらい
 昨年10月28日午前11時40分ごろ、4日前に八丈島近海で消息を絶っていた漁船「第1幸福丸」が発見されたという一報がヘリポートに入りました。現場までは200㌔以上あり、午後1時過ぎの夕刊最終版の締め切りにぎりぎり間に合うかという時間だったため、離陸を急ぎました。
 離陸後約1時間で、現場海域に到着しました。転覆した漁船の周辺には海上保安庁の救助艇と潜水士の姿。少し離れたところに巡視船「いず」とヘリがいました。撮影を始めて間もなく、潜水士は救助艇に戻ってしまい、そのまま巡視船に引き揚げました。空から見るとひっくり返った赤い船体だけが残された状態になったため、そこで取材を終え、写真送信のために八丈島空港に向かいました。
 私は生存者がいたことに気付いていません。離陸するときに「漁船発見」という情報しかなかった上、転覆した船の中で何日間も生き延びているとは想像できませんでした。潜水士たちは到着後すぐに活動を終えて救助艇に戻ったため、彼らをアップで狙う時間的な余裕もなく、漁船を調べていただけだと思い込んでいました。
 ノートパソコンで撮影した画像を選択して、写真送信のための電波が通じるようになる着陸を待ちました。着陸とほぼ同時に送信を始めました。その直後、同乗していた整備士のもとに会社から電話がありました。午後1時のニュースで生存者3人救出の映像が流れたらしく「撮れているか」という問い合わせでした。それを聞いて私は顔面蒼白(そうはく)です。自分は撮れているという意識はありませんから、大事なものを撮り逃したのでは、と思いました。急いで送信中の写真を拡大してみました。「あった」。潜水士に交じって、今まさに救出されている乗組員が写っていました。
 すぐにデスクに電話をして「もうすぐそちらに入る横位置の写真に、救出活動が写っています」と伝えました。こうしてぎりぎりのタイミングで夕刊1面を飾ることができました。私たちの世界では、どんなにいい写真を撮っても、締め切りに間に合わなければ意味がないと言われます。ヘリ取材は上空から写真を送ることがほぼ不可能なため、現場での撮影と、着陸しての写真送信の兼ね合いがとても難しいです。これだけしびれるタイミングの取材はなかなかありませんが。
 この写真を撮影している時、上空には3社のヘリしかいませんでした。これだけの事件なのに、なぜほかの会社がいなかったのか。わが社は新聞各社の中で、現場到着が遅い方でした。一報が入った時点で、締め切り時間と現場までの距離を考えた時、いくつかの会社は飛行機を選択しました。飛行機は写真を撮りにくいですが、機動性と輸送力ではヘリをはるかに上回ります。一報の時点では生存者の情報もなく、発見された漁船の写真を確実に夕刊に掲載するには飛行機がベストの選択だったと思います。
 飛行機でヘリよりも早く現場に着き、漁船の撮影を終えると、写真送信のためにどこかに着陸しなければなりません。それで現場を離れたのでしょう。もし生存者がいることを知っていれば、何があっても上空に居残っていたと思います。わが社のヘリが現場に着く少し前に生存者が漁船からの脱出を始め、着いた時間が、まさに3人目の生存者を救出しているクライマックスだったのです。到着が少し遅かったら撮れませんでした。また早過ぎたら、生存者の存在を知らなかったので、程なく現場を離れたでしょう。
 結局、報道写真においてもっとも重要なことのひとつは、その現場、その瞬間に居合わせることだと思います。シャッターを押すタイミングや構図なども重要ですが、それらは現場と対峙(たいじ)して、初めて必要になる要素ですから。この写真を撮ってから4カ月以上がたちました。過去を振り返るのは今日で最後にして、また新たに多くの人の記憶に残るような写真を撮りたいです。運ばかりではなく、実力が伴った協会賞受賞であることを証明すべく、これからも精進していきたいと思っています。      

◎「辻井伸行-全盲のピアニストに『光』-」

産経新聞東京本社写真報道局 鈴木 健児
▼ 受賞作品の概要・経緯・ねらい
 6月7日、ヴァンクライバーン国際ピアノコンクールで優勝したというニュースが飛び込んできた。それがどんな大きな賞なのかも知らなかったが、過去に取材したことを思い出した。彼がまだ高校生のとき、“全盲の高校生ピアニスト”を紹介する取材をしたことがあった。辻井さんの自宅に伺い、音楽に無知な私は、「何か弾いてください」という安易な要求をした。彼は快く撮影のために2曲弾いてくれたのを覚えている。今考えると、これほどの贅沢はなかった。
 テレビ中継で、表彰される彼の姿を見たとき、本当に嬉しかったし、私自身のこの感情を写真で表現しよう、と腹に決めて、凱旋帰国会見が行われるホテルに向かった。会場では、二人三脚でここまできた、辻井さんのお母さんにも注目が集まっていた。たぶん一緒に会見場に入るだろうと予想し、辻井親子を狙える位置についた。が、それは先導するホテルマンが前に立ちはだかったため“いい写真”にはできなかった。
 そのあと席に着いた辻井さんをサイドの位置から観察した。今日、この時だからこそ辻井さんの喜びがどこかに表れていないか、全身を数秒間、見た。手の表情はどうだろう、つま先に喜びはあるだろうか、背中は?その中で、上に向かって目を開き、少し嬉しそうな表情を見つけた。これだと判断し、アップ狙いに切り替えた。すると目の中に、会場の照明が映っていることに気がついた。会見開始から約10分くらいだろうか、この時点で“狙い”と「全盲のピアニストに光」というタイトルは決まった。目に映った光が、今開かれた辻井さんのピアニストとしての未来を象徴するものだろうと。
 あとは記者会見という雰囲気をいかに消すかという事を考えた。会場には黒いカーテンが掛かっていて、そこに抜けば、全体を黒いトーンにできる、あたかもピアノコンクールの会場であるかのように。この写真に関しては、露出もシャッタースピードも全く覚えていない。もちろんあのときの素データを見返せば、確認はできるのだが、撮った本人が意識していないのだからそんな数値は必要ないのかと。ただ、いつもより、また他のカメラマンより、辻井さんに対しての「おめでとう」の気持ちは強かった気がする。
 それから約半年後の昨年末に辻井さんを取材する機会を与えられ「辻井くんのおかげで、私も賞をいただくことができました。ありがとうございました。」の報告に、「ありがとうございます、また、おめでとうございます。」とはにかみながら答えてくれた。  

[第2部・ディスカッション、質疑応答]抜粋

コーディネーター:東京写真記者協会事務局長・花井 尊
<花井>鈴木さん、バンクーバー冬季五輪を取材して帰国したばかりですが、現地での体験、感じたことなどいかがでしたか。
<鈴木>バンクーバー冬季五輪は、前回を上回るメダル計5個、注目度も高く、非常に良い状態で終わったと思います。現地は、ボランティア等も親切で、カナダならではのゆとりも感じられました。その上、気温は日本より暖かかったという取材環境としては申し分ない状況でした。その中でも注目はなんと言ってもフィギュアスケート。不況やアジア勢の圧倒的な強さの影響もあり、世界各国からのカメラマンの数も通常より少なく、五輪ではきわめて珍しく、日本人プレスがリンクサイドでの撮影ができたのが今回のフィギュアの特徴でしょう。そのため、メダリストらの氷を滑る音や息使い、細かな表情まで間近で感じる事ができました。浅田真央は滑走前にその時の気持ちがわりと表情に出るタイプだと思います。2月23日のショートプログラムの時は、明らかに強ばっているように見え、不安に思ったのはリンクサイドにいた私だけではないと思います。ただただ最初のトリプルアクセルの成功を祈るばかりでした。演技が始まっても表情は硬く、そのまま最初のジャンプに入りました。そこはさすがに浅田真央の凄さ、強さが勝ったのか、五輪の歓声に持ち上げられたのか、見事に成功しましたが、表情は硬いまま。しかしスパイラルを終えたあたりでした。浅田真央が急に笑い始めたのです。演技表現の笑いとは明らかに違う、心底楽しんでいる表情が見えました。これがたぶんゾーン(スポーツ選手が競技中に集中し、心技体が一致して体が自然に動く最高の状態、楽しくて仕方ない絶好調の時)に入った瞬間だったと思います。演技後の会見で、浅田自身「スパイラルの後、オリンピックで演技している事を再認識し、楽しくなった」と話したそうです。テレビ中継でどのくらいそれが見えたかはわかりませんが、私にははっきり伝わってきました。高橋大輔も同じく、フリープログラムの4回転ジャンプを転倒した直後から笑い始めたのを感じました。ジャンプを失敗し、完全に吹っ切れて、ゾーンに入ったからこそ、持ち味であるステップで最高の見せ場を創れたんだと思います。この最高の舞台の至近距離に立てたことこそ、“現場のカメラマン冥利に尽きる”のだと実感しました。ショートプログラムの朝の練習で見たこともないような大転倒をしたにもかかわらず、驚くほどの強さで完璧な演技をみせたキム・ヨナ(韓国)、亡くなった母に演技直後に呼びかけたロシェット(カナダ)、予想外のはつらつとした演技で会場を沸かせた長洲未来ら、張りつめた緊張感と息が詰まるような“氷上の競演”の傍らに立ち会えた事に最高の喜びを感じています。
<花井>ありがとうございました。いい経験をしましたね。オリンピックという最高の舞台で、選手の心の中まで読み切るとはすばらしいことです。

<花井>質疑応答に入りたいと思います。事前に新聞博物館に来た質問があります。質問は、「被写体に何を見たかったのか、見たのか。時には雑踏のような場所でも撮影に集中しなければならないと思います。どのように狙う構図を切り取るのか。新人のころからの苦労話しを聞かせてほしい」。
<澤田>「被写体に何を見たかったのか」という質問ですが、事前に何かを見たいなどと決めつけないようにしています。決めつけると、とっさのことに対応できないので。雑踏のような場所で撮影する場合も、どこか一点だけに集中するということはありません。事件事故でもスポーツ取材でも言えることですが、何が起きても柔軟に対応できるよう、広く周囲を見るようにしています。
<鈴木>新聞社のスタッフカメラマンである以上、もっとも必要なことはニュースは何か、ということだと思います。被写体があって、ニュースがあって、そののち、現場で私自身が感じた事を加味して写真で表現したいと思っています。(例:辻井伸行さんが被写体 国際ピアノコンクールで優勝した、というのがニュース 目に光が反射して、未来が開けたように見えた のが私なりの解釈、表現 です。)構図で切り取るということは普段あまり考えず、直感的に浮かんだ“画(絵)”にしようと心がけています。「集中しなければならない」に関しては、周りの雑音などは一切邪魔にはなりませんし、むしろ集中しすぎで周りが見えなくなるのは禁物です。騒がしい現場や事件の場合は、写真を撮りながらも、ファインダーを覗いていない目や、耳で周りの状況を把握しながらのときも数多くあります。「新人のころ苦労したこと」は画(絵)にできないこと。自分が現場にいても自分の存在を表現できないことにもどかしさを感じていました。劣等感たっぷりで数年間の苦しい日々を乗り越えると、案外自由に表現できたりするときもあるものです。
<花井>取材で心掛けることは…
<澤田>写真は人間を写してこそ、人の心を打つと思います。災害の写真などでも、災害状況を説明する写真より、そこで悲しんでいる人の写真の方が、伝わると思います。
 人間の写真は目です。目が死んでいる写真は、どんなに決定的な場面をとらえたものでも、好きではありません。人の目が生きている写真を撮っていきたいです。
<花井>苦労話や信条みたいなものは…
<澤田>最近の苦労ですが、東京地検による小沢一郎民主党幹事長への任意聴取が行われるという日、小沢氏が宿泊しているとみられるホテルに向かいました。早朝6時ごろから、聴取される場所へ向かうであろう小沢氏の姿をとらえようと、張り込みを続けました。できれば夕刊時間帯に撮りたかったのですが、何時間待っても一向に姿を現しません。結局、聴取はそのホテル内で行われ、張り込みは無駄に終わりました。翌日朝刊には、私ではなく先輩が撮影した、夕方に小沢氏が記者会見する写真が載りました。待つことが多い私たちの仕事ですが、待っても報われないことが多々あります。
<鈴木>苦労話はいろいろありますが、長いこと狙って撮れない時がもっともつらいですね。でも基本的には苦労と写真の質は全く比例せず、写真の結果がすべてだと思っています。ただ現場の取材者が楽しめれば、その雰囲気は写真のどこかに反映される、とにかく現場を満喫することが重要だと思っています。取材で心掛けることは、理性と感覚のバランスをいかに保つかということ。細かくはいろいろ心がけています。
      ・的確にネタ(ニュース)の核をつく。
      ・自分らしい写真を目指す。
      ・被写体や取材記者の邪魔にならず、あくまで陰に徹する。
      ・傍観者にならず、当事者の気持ちで現場を感じたことを写真にする。
      ・相手に喜んでもらえる写真にする。
などいろいろありすぎで、わかりません。現場によっていろいろ考えたり、思いを巡らせたりしますが、やっぱり根本は、「現場を充分に楽しむこと」ですね。
<花井>質問「普段外で歩いている時、歩行者を勝手に撮影して紙面に載せても肖像権トラブルは起きないですか」。
<鈴木>腕章は必ず着用しています。使う写真がきまりそうなときは、写っている人に声をかけ、あらかじめ許可を得たりもしています。あとは顔がわからないようにブラしたり、後ろ向きを狙ったりしますが、こちらが一切の悪意を持たずに配慮にこころがけることが大事だと思っています。今のところ、私自身は苦情、トラブルは一度もありません。
<花井>質問「放映されているNHKの画面を複写して勝手に紙面に使ってもいいのですか」。
<花井>各新聞社がNHKの画面を紙面化するときは、NHKの許諾を得て使っています。たとえば「奇跡の生還」の時、夕刊締め切りぎりぎりだったため、やむを得ずNHKのテレビ画面を複写して「生還写真」を朝日、毎日、読売の1面に使っています。
<花井>時間がきました。ありがとうございました。これからも本日の講演を糧に頑張ってください。また、この講演会が報道現場の実情やジャーナリズム、写真取材の使命、役割について、少しでも理解していただければ幸いです。

≪日本新聞博物館が行った記者講演会アンケート結果・一部抜粋≫

・写真ひとつ撮るのにもたいへんな苦労があるのだなと思った(50代・女性)
・写真報道の苦労ややりがいが実感できた(60代・男性)
・普段、紙面だけでは知ることのできないような報道の裏話を聞くことができて、勉強になった(20代・女性)
・写真展で見た写真の撮影者の心がよくわかり、本当に納得した。自分だけの想像の狭さを思い知らされた(70代・男性)
・記者を目指している私にとって、カメラマンの仕事をとてもよく知ることができた貴重な講演だった。今回は五輪後だったので、スポーツ関連の話題や裏話がとても面白かった(10代・女性)
・カメラマンの人間性も含まれての報道になるということが分かった。いつも何気なく見ていた新聞の見方が変わると思う。現場主義はすばらしいですね(60代・女性)
・写真を撮る苦労や考え方など、現場に立つ記者だから感じる視点を知ることができてよかった。今日はよい勉強になった(20代・男性)
・毎日配達されている新聞をただ何気なく見ていたが、写真一枚にしてもたいへんな苦労があることがよく分かった(70代・男性)
・今回はバンクーバー五輪の取材秘話などを聞けて楽しかった(20代・男性)
・このような講演は中・高生にも聴かせて、こうゆう職業があるということを知らせたい(60代・男性)
・シャッターチャンスの大事さや、(記者の)日本人気質についてよくわかった。澤田記者の「写真は人の目が生きていることが大事」という話に感銘した(60代・女性)
・鈴木記者の「画になるか、字になるか」の話に記者魂を見た(60代・男性)
以上