(2013・2・16日本新聞博物館)

日本新聞博物館主催の「2012年報道写真展 記者講演会」が13年2月16日(土)、同館のニュースパークシアターで開かれ、「闇を切り裂く火山雷」で桜島の噴火を捉え、2012年東京写真記者協会賞一般ニュース部門賞(国内)を受賞した産経新聞社・大里直也記者、「ここで生きることが闘い 福島県富岡町」で東電福島第一原発事故の警戒区域内で動物愛護の活動をルポして企画部門奨励賞を受賞した共同通信社・原田浩司記者が講演しました。コーディネーターは東京写協の花井尊事務局長。講演のあと会場からの質問に講師が答えていただきながら、報道カメラマンの実態、思いなど写真ジャーナリズム全般の理解を深めていただきました。(以下はその抜粋です)

【花井コーディネーター】本日はお忙しい中、大勢お集まりいただきありがとうございます。これから東京写真記者協会所属の二人の写真記者に受賞写真の取材に関して話して頂くほか、日ごろ写真取材やジャーナリズムに関して感じたこと、思うことなどをざっくばらんにお聞きしたいと思います。まず、大里さんは夜通し1日10時間以上の撮影が1週間以上続き、カメラも本人も火山灰まみれだったと聞きましたが、その辺の取材エピソードを含めてお聞かせください。

【写真】激しい火山雷が飛ぶ桜島の爆発的噴火=大里撮影

【産経・大里直也】この写真を撮影したのは昨年(2012年)の4月17日の27時(18日の朝3時)ごろです。2012年の4月というと、東日本大震災発生から丸1年が過ぎた頃でした。震災発生当時、私はサンケイスポーツの担当をしており、同年の7月に産経新聞担当に移動になったのですが、様々な事情があって発生当初の被災地に仕事としては行っていません。そのため、震災の取材を開始したのは8月頃からになるのですが、やはり一生懸命やっても当初から取材している人たちとはなかなか同じようにはいかないかなという思いはありました。そこで、全く違うアプローチができないかとぼんやり頭の隅で考えていました。そんな時、一周忌を迎えるにあたり、今度は東海大地震だとか富士山が噴火するとかの様々な予測や報道が出てきました。これらの話題が出るたびに「活断層」「プレート」「マグマの移動」などという単語が必ず出てくるわけです。そこで思いつきまして、火山の噴火だったら普段目にできない部分が表現できるのではと思ったのです。「地球は生きている」といった狙いです。
それまでの報道で、桜島の噴火回数が当時の年間最多記録を更新したとか話題があることは知っていたので改めて調べました。そうしたら火山雷という噴火の際に噴煙が巻き上がった摩擦などで発生する、普通の雷とは違う現象があるということがわかり、これが撮れたらすごいのでは、と上司に相談してみた、という次第になります。それでも、相談はかなりダメ元でしました。なぜならば、雷とか噴火とか、いつ起こるかわからないもの撮ってきますというので出張OKというのは、あまり考えられないからです。運にかなり左右され、取材日数や結構な額の経費をかけても必ず撮れるとは限らないわけで、本当に手ぶらで帰る危険性がかなり高いのです。そんな撮影でも「撮れたらおもしろい。行ってみたら!」と上司や会社が快く送り出してくれたのは大きかったです。
ここからは撮影話です。まずは噴火や火山雷の撮影が目的でしたので、撮影時間は自ずと夜になりました。したがって、明るくない時間は、夕方から夜通し朝まで、ずーっと撮影していました。これを約1週間続けました。空撮でもなければ展望台などの特別な場所ではなく、桜島の島内南側の草むらみたいなところです。連日、火山灰がすごく、カメラにカッパをかけておいてもすぐに灰だらけになってしまい、併せて夜露もひどく、いつでもシャッターを切れる状態にしておくことがまず大変でした。現地入りする前に、念入りに噴火状況を調べていったので、1日、2日目でまずまずの噴火が撮影できました。これは運がよかったです。早い段階で何かしかが撮れたので、手ぶらで帰らなくていい!という安心感が生まれました。そして、これが撮れているのだから、もっといいものを狙おうと、攻めの姿勢で撮影に臨むことができました。また、撮影の成功には、火山ウォッチャーとでも呼べる方との出会いが大きかったです。これも運がよかったといえます。現地に頻繁に通っている方だったので、噴火の条件などについて様々、教えていただきました。こういった詳しい人から教わることも取材の一環だと思っています。そして取材開始から約1週間が経過した日に、その方と自分とで今日は絶対に大きい噴火がくる!という予測ができた日がありました。そのため、その日に限ってはいつもより二まわりくらい広い画角で噴火口を狙いました。また、風向きがこれまでと逆だったのでカメラを向ける方向も逆にしました。そうして待っていたら、ついに大きな噴火に遭遇し、予想していた以上の結果になった、という次第です。
今回の取材については運が非常に大きいところでしたが、運をつかむための準備は十分にできていたのかなと思います。また、冒頭で以前スポーツ新聞の写真の担当をしていたと申しましたが、その経験がいきていると今、感じています。スポーツ新聞では野球の撮影が多くを占めます。野球担当になれば年間200試合くらい取材します。いつも同じようなところ(カメラマン席)から同じようなもの(マウンドや打席)を撮影します。そういった反復を繰り返すことで、見えてくるものがあるように思いました。それは、自分の予想できない部分をいかに撮影するか(自分の陳腐な予想で事態が終了した時はたいした事にはなってない)。そういった状況が起きた時に対応できる判断力と撮影技術をいかに身につけるか。といった点です。これらは事件・事故や今回の風景のような取材でも通ずるところは多くありますし、この経験が、今回の撮影の成功につながったと思います。

【花井コーディネーター】大里さんは今回、大変な取材だったようですが、いい写真が撮影できてよかったですね。火山灰をかぶりながら取材した姿は頭が下がります。頑張ってもいつも結果がついてくるとは限らないですが、今回は粘り勝ちですね。さて、これまで新聞協会賞などいくつもの受賞経験があるベテランの原田さんに、今回福島第一原発の警戒区域内での取材についてお話しください。

【共同・原田浩司】「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわない」。反戦報道写真家で有名な福島菊次郎氏の言葉です。「犯してもかまわない」とまでは思わないが、「犯すこともありうる」と思う方でしょうか。今回の取材も、法的にはグレーゾーンに入ってしまうのかもしれない。
東日本大震災から2年を経ようとしていますが、いまだ警戒区域の取材は、明文化されず規制されたまま。無許可の取材活動を行い警察に数回事情聴取されたジャーナリスト、偽造した車両通行証で動物保護を行って逮捕された人もいます。前者は災害対策基本法違反、後者は偽造有印公文書行使と災害対策基本法違反とされる。災害対策基本法の主目的は、災害からの生命の保護であり取材規制ではないはず。取材の正統性を主張する意味もあって、この写真ルポは署名入りの記事で配信することにしました。福島県の地元紙にも掲載され、しばらくは警察からの出頭要請を覚悟したものですが、現在までにそれはありません。それだけに、東京写真記者協会が賞という形で支持してくれたことはとても嬉しく思います。
被写体となった松村直登氏は、福島県で活動する日本人であるのに、皮肉なことに国内よりも海外で有名な方です。当初、米AP通信が同氏を報じたことで知られることになり、英BBC、米CNNなどが特集を組んだほど。一方、日本のメディアは、頑ななコンプライアンス(順守、従順)から警戒区域の取材を控えるところばかりでした。そのため、松村氏はなかなか取材に来ない日本のメディアに対して不信感さえ抱いていました。それでも、最初に警戒区域内に入ってきた日本メディアということで歓迎してくれました。

【写真】家畜に水を与える松村さん=原田撮影

電気、水道、ガスというライフラインが絶たれた警戒区域で、ローソクの灯りで松村氏と何度も杯を傾けました。決して動物愛護だけの人ではなく、強い郷土愛と弱者は助けなければならないという男気の方です。被ばくした牛の殺処分の現場に出くわし、後先を考えずに「頼むから殺さないでくれ」と叫んでしまったそうです。そうやって、保護した牛は百頭ほど。ようやくNPO法人を立ち上げたものの、組織の体を成していないため、他の動物保護団体に較べてき集金力に劣っています。それどころか、被災者として受け取る補償金から、活動費を切り崩しているようで、資金不足と人手不足から「この先、どうなるか分からない」とこぼしています。
元々、食用として殺される運命にあった家畜の生命を守ることに、意味があるのか、それともないのか、それは私も明快な回答を持ち合わせていませんが、「ただ殺すために生命をいただくのは駄目だ」という松村氏の言葉はストンと胸に落ちました。食事の時の「いただきます」という言葉の意味を改めて考えさせられたものです。
東日本大震災から2年。原発事故の放射能汚染に晒された福島県では、復興からは程遠い状況です。今回に終わらず、「ここで生きることが闘い」という男を通して、福島第1原発事故がもたらしたものを報じていきたいと考えています。

【花井コーディネーター】貴重かつ興味深いお話をありがとうございます。現場で法的に厳密にいえば入ってはいけない時とか、相手が報道陣に見せたくない場合とか、そんな状況の時、写真記者の多くは悩むと思います。知らせるために少しくらい法を犯してもいいのか、いけないのか。私の経験からですと現場で撮影できる状況ならば、「まず撮る」方針できました。それを紙面に載せるかどうかは撮ってから考えました。担当デスクと相談して、これまで自己規制して載せない選択はありませんでした。読者に知らせるべきだと優先したからです。さて、これからは会場からいくつも質問がきています。お答えください。

○質問《これまでに一番大変だった取材は何でしたか、また一番感動した瞬間は何のときでしたか》

【産経・大里】感動した取材は、やはり今回の火山雷の瞬間に出会えたことです。あまりにも状況がすごすぎて、自然の脅威、人間がどうあがいても太刀打ちできない何かというのを生で、いやがおうにも感じさせられる取材でした。

【写真】ペルーの日本大使公邸人質事件、公邸内をスクープ撮影=原田撮影

【共同・原田】大変だったのは、ペルー日本大使公邸人質事件。公邸内にいるゲリラや人質との単独会見を行い世界的なスクープとなり、世界中の新聞やテレビがその写真と記事を報道しました。取材そのものよりも、その後の執拗な国内メディアのバッシングが気持ち悪かったものです。最も感動したのは、東日本大震災。ひたすら耐え忍び、他者を思いやる気持ちを忘れない東北の人たちの姿には涙を禁じ得なかったことと寡黙に働く自衛隊員の姿にも頭が下がりました。

○質問《大里さん、プロ野球選手が球を打つ瞬間を撮るコツを教えてください》

【写真】インパクトの瞬間写真。バットの中央が捕手側にしなっている。

【産経・大里】バットがボールに当たる瞬間にシャッターを切ることです。当たり前すぎてすいません。これは練習が必要ですが、慣れてくれば割と撮れます。が、100発100中の人は、おそらくいません。なお、私たちの高速連射のプロ用カメラでも、バッターのスイング開始から適当なタイミングで連射しても、撮影できる確率は少ないので、どんなカメラでも、最初の1コマ目で狙ってください。

○質問《紙面などに自分が意図した写真と違う写真が使われたり、意図と違うキャプションがついてしまうことがありますか》

【共同・原田】通信社の場合、一度の取材でたくさんの写真を配信します。掲載判断は、配信を受けた新聞社それぞれなので何とも言い難いです。

【産経・大里】新聞社でも、そういったことはあります。事前に分かれば、会社に「意図と違いますよ」という点は伝えますし、わかりにくい写真や、意図と違うキャプションになってはいけない場合については細かく文面や口頭で注意喚起や状況説明はしています。

○質問《取材する時に心がけている「マイルール」「目標」があれば教えてください》

【産経・大里】町中などでの取材では、可能な限り写真を撮るときや撮ったあと、声がけをして、取材の主旨などを理解してもらうようにしています。これはインターネットの影響も非常に大きいと思います。カメラを構えているだけでよけていったり顔をそむけたりする人はその人の「写りたくない」という意思表示だと思うので、それがいい被写体だったとしてもなるべく撮影しないようにはしています。どうしてもの場合は、きちんと説明します。

【共同・原田】写真を撮るという仕事は、その時その場で瞬時の判断を求められるもので、他人を頼るべくもない作業。ゆえに、その結果責任は自分で負うしかない。職業生命を賭けて、写真を撮るような場はあまりないが、報道カメラマンをやっていれば、いつか出くわすもの。誰のせいにするでもなく、自分で全てを背負うことをルールとして課してきたつもりです。しかし、福島第1原発事故の取材に関しては力不足と勉強不足で反省するばかりです。

【花井コーディネーター】ありがとうございます。それぞれご苦労があったと思います。多くの写真記者たちは、国民の知る権利に応えるべく頑張っています。それが、「時代の目撃者」としての役割を担っていると思います。事件事故など発生ものだけではなく、スポーツでも芸能でも、「記録する」という意味で写真は残ります。

◎「2012年報道写真展 記者講演会」アンケート結果(抜粋)
(2013年2月16日・日本新聞博物館)
【講演会の感想】
・詳しく説明していただき参考になった。来年もあるなら参加したい。(30代・男性・東京都江東区)
・共同通信社の原田さんの取材に取り組む姿勢が大変興味深く、報道の重要性と難しさを感じた。(40代・男性・横浜市内)
・一般のサラリーマンだがとても勉強になった。記者の取材時の心構え、写真を撮った時、撮るまでのいきさつが良く分かった。ただ、普段、情報が氾濫し過ぎていて、その思いが伝わりにくくなっている現状にがっかりした。せっかくのすばらしい写真を生かしきれていないのではないのかと疑問に思った。(40代・男性・横浜市内)
・原田氏の取材最前線の模様がよく理解できた。特に外人カメラマンの方が「動物」に視点がいくという点に興味を持った。(70代・男性・横浜市内)
・私たちにたくさんの情報を届けてくれる現場の方々のお話を聞いて、新聞をより大切に読める。福島の今をもう少し私たちに知らせてほしい。(30代・女性)
・記者が撮った写真を見て記者の苦労が伝わるように思えた。(20代・男性・埼玉県)
・裏話的な話を聞けて面白かった。(20代・男性・神奈川県外)
・興味深い話だった。(20代・男性・新潟県新潟市)
・初めてこのような講演会に参加したが、報道の真実を知ることができた。私は62才だが今後の生き方の参考にさせていただき、生きたいと思う。(60代・男・横浜市内)
・報道写真は記事以上に力がある。その影には記者の努力もあるが、報道機関の姿勢が大事だ。写真を通して何を訴えたいのかを示すことが期待される。事件性のある課題を追いかけるだけでなく、過去の問題で継続性のある社会問題も追及してほしい。日の当たらない途上国の社会問題も。(70代・男性・横浜市内)
・時間の関係で最後まで聞けなくて残念だった。為になる講演だった。(20代・男性・横浜市内)
・原田氏の話は本音レベルでおもしろかった。こうした取材の実態に即した話を追跡する企画を続けてほしい。 (60代・男性・東京都町田市)
・楽しい話が聞けて良かった。(50代・男性・東京都)
・国家的問題、グレーゾーンをしっかり表現してほしい。(70代・神奈川県横須賀市)
・あっという間に終わってしまった。特に原田さんのお話はざっくばらんで非常に興味深かった。またこのような機会があればぜひ参加したい。(20代・男性・横浜市内)
・興味深いお話を伺った。タイプの違うカメラマンお二人だったことも良かった。(40代・女性・横浜市内)
・シャッターチャンスが大事だと感じた。チャンスをものにする努力を感じた。(40代・男性・横浜市内)
・普段は出来上がった写真しか見られないため、取材の背景のお話は興味深かった。(40代・女性・横浜市内)
・原発事故に関してギリギリの取材によって事故がもたらすさまざまな影響を知ることができ、今後の活動に大変役に立つと思う。(50代・男性・横浜市内)
・興味深い話が聞けた。(70代・男性・神奈川県鎌倉市)
・何げなく見ている新聞の写真だが、その裏に大変な苦労があることをうすうす知ってはいたが、第一線の記者の方の話でよく伝わった。これからは新聞写真をもっと気持ちを込めて見られるようになるだろう。現場の方々のお話で久しぶりに現実の社会を感じた。高齢者の生活にどっぷりつかっているので。(70代・女性・横浜市内)
・次も参加したい。友達を連れてくる。(60代・男性・神奈川県川崎市)

【企画展の感想】
・展示している写真から伝わってくる情報量が紙面やウェブで見たときよりも多く感じることができた。順路が少し分かりにくかった。(20代・男性・東京都北区)
・日々の多々ある事柄の記憶の思い起こし。(50代・男性・横浜市内)
・特にオリンピック関連だが、笑顔の写真は目にする側に元気を与えてくれると思った。そういう写真が増えればと思う。(30代・女性)
・初めて見たが、涙有り、感動有り、喜び有りだった。来年もぜひ生きている限り、見にきたい。(60代・男性・横浜市内)
・毎年続けてもらいたい。(70代・男性・横浜市内)
・時間をかけてじっくり見ることができなかったので、もう一度来たいと思う。(20代・男性・横浜市内)
・順番になっている構成が大変良かった。(50代・男性・東京都)
・初めて見た。大変すばらしい。(70代・神奈川県横須賀市)
・1年を振り返り感慨にふけることができた。(40代・女性・横浜市内)
・報道の大半(スポーツ以外)は暗い話が多い。明るい希望のもてる写真をもっと増やしたらどうか。(70代・男性・神奈川県鎌倉市)
・良かった。(70代・男性・神奈川県横須賀市)

以   上