(2015・2・20 日本新聞博物館)

写真①「火山灰の中に生存者 ~御嶽山噴火」 産経新聞 大山文兄

写真②「太陽を横切る若田船長のISS」 朝日新聞 飯塚晋一

日本新聞博物館主催の「2014年報道写真展 記者講演会」が15年2月20日(土)、同館のニュースパーク・シアターで開かれ、120ある客席が熱心な聴衆でほぼ埋まる盛況でした。

「火山灰の中に生存者~御嶽山噴火~」=写真①=長野県御嶽山の突然の噴火翌日に山頂付近で救助を待つ女性の姿を捉え、2014年東京写真記者協会賞(グランプリ)を受賞した産経新聞東京本社写真報道局大山文兄編集委員、「太陽を横切る若田船長のISS」=写真②=で日本人として初めて船長となった若田光一さん搭乗のISS(国際宇宙ステーション)が太陽の前を横切る瞬間を見せ、一般ニュース部門(国内)部門賞を受賞した朝日新聞東京本社報道局写真部飯塚晋一記者が受賞作だけではなく、関連する画像などを投影しながら講演しました。コーディネーターは東京写協池田正一事務局長。

講演後には会場からの質問に答えながら、新聞社の写真記者の取材活動、紙面では伝えられない取材秘話、報道写真として伝える側の思いなどについても語って頂きました。(以下はその抜粋です)

【池田】本日はご来場いただきありがとうございます。新聞博物館での写真展は今回で10回目になります。写協主催「2014年報道展」で55回目を数えます。1年を報道写真で振り返る写真展です。この講演会でみなさんの報道写真、新聞写真への理解が深まればと思います。講演するお二人は多くの仕事をしてきた超ベテランです。今回の受賞作だけでなく、取材秘話までお伝えできると思います。大山さんお願いします。

【大山】産経新聞の大山です。始まる前に写真展に展示されている私の写真を見てきました。飾られている写真の中で一番画質の悪い写真ではないでしょうか。2011年5月からデスク勤務をして、現在は編集委員の仕事をしています。3月11日の東日本大震災では1か月間取材をして、デスクの仕事をしています。デスクワークは仮眠はあるものの、24時間会社で勤務しています。新聞カメラマンの中ではデスクになることは“終わった”とみられがちで、このまま定年を迎えるのかと思っていました。今回御嶽山噴火取材で賞をもらえるとは思ってもいませんでした。2008年から新潟県佐渡島のトキ放鳥取材に携わっており、7年経った現在でもデスクをしながら取材を続けています。この取材だけは年2回ほど、延べ3週間続けて自分がまだカメラマンだというモチベーションだけは持ち続けてきました。トキの取材は800㍉の超望遠レンズを使用しています。車の中から窓ガラスに固定して撮影しています。トキは車に対しては全く警戒しません。動く人間についてはすぐに逃げてしまいます。地元では車から出てはいけないというルールがあり、トイレ以外は外に出ません。佐渡での自然というと大自然の中でのんびりと撮影していると思われがちですが、私の知っている佐渡は田んぼの風景ぐらいです。

今回の御嶽山噴火取材も、トキの取材をしていなければ、800㍉の超望遠レンズを使おうとは思わなかった。(トキの写真を続けて見せ)21日の産経新聞朝刊にはトキのグラフが掲載されます。よろしかったら手に取ってご覧になってください。

9月27日昼前に御嶽山が噴火しました。当日は泊り明けのデスクで、24時間経ちもうすぐ退社できる時間でのんびりとしていました。午前中まで、制作する新聞の1面候補は木曽駒ヶ岳の千畳敷カールでの紅葉を売り込もうと思っていました。午前9時過ぎに現地から紅葉の写真が入ってきて、編集長に売り込みたいと思っていました。(ボツになった木曽駒ヶ岳の美しい紅葉風景を見せながら)御嶽山でも同じような光景が広がっていたはずです。当日NHKが現場で取材してスクープ映像でした。産経新聞も山ひとつ裏側の駒ヶ岳。この取材者は一歩間違えれば自分が被災者になっていた可能性もありました。御嶽山と逆側に下山しましたが、まったく音も感じなかったようでした。

午前11時52分に御嶽山が噴火しました。次第に大惨事であることがわかってきました。土曜日の出勤者は少なく、当日出勤していたカメラマンを現場に向かわせました。駒ヶ岳取材で下山中の取材者もタクシーをチャーターさせて現場に向かわせました。東京から取材に出たカメラマンが到着したのは午後7時になり、真っ暗になっていました。現場は非常線が張られていて、下山する登山客を窓越しにしか取れなかったと聞いています。

駒ヶ岳取材で転戦した取材者が話を聞いた女性が山岳ガイドでした。軽トラ大の噴石が飛んでいたとの話が産経新聞だけに掲載されました。気象庁の記者会見では当初誇張しているといわれていたが、その後気象庁もその事実を認めました。発生当日の貴重な証言だったと思います。
私なりに考えている事件災害取材のセオリーがあります。①早く現場につくこと②より近づくこと③より高い場所から撮ることです。この日はいかに登山者が撮影した写真を入手できるかを4つ目に入れなくてはなりません。前日の勤務開始から30時間が経ち、思考能力も低下していました。東京からもヘリコプターをチャーターすることになり、勤務できるカメラマンがいないため、自分が行くしかないと腹を決めました。どんな取材でもそうですが、自問する3つがあります。まずどんな写真を撮りたいのか、現地の状況は、機材は何が必要なのかです。この3点は皆さんが写真を撮るときには使えると思います。良かったら覚えておいてください。

まずどんな写真か。噴火から一夜明けての取材なので、救出される登山者の表情をできるだけアップで狙おうとしました。救出活動が続いており、ヘリの低空取材ができないことや噴火も続いており制約のあるものと考えました.
今はヘリの騒音問題もあり、低空での取材は難しくなっています。昔、ヘリコプターは脚立替わりと言われていました。低く降りて取材するのが当たり前でした。29年前、伊豆大島の三原山の噴火では、取材中の他社ヘリに噴石があたり、緊急着陸したこともあります。

どのような機材が必要なのか。新聞各社はヘリの格納庫にある機材を持ち出すのが当たり前です。よほどの企画取材ではない限り、800㍉の超望遠を使うことは考えられません。ヘリからの撮影は100-400㍉程度のレンズが一般的です。上空は寒くなると思い、手袋も持参しました。噴火してから1日たった現場では自分がトキ取材で7年間使い慣れた800㍉を使い、いい画質で撮影すると決めたわけです。

800㍉で撮影した写真と肉眼と同じ画角50㍉で見た風景と見比べてみてください。(東京・大手町の産経新聞から撮った写真を比較)800㍉はここまで拡大して撮ることができます。プロ野球のセンター席から撮ったり、野生動物、私はトキ取材で使っていますが、あまり使われない特殊なレンズと言えるでしょう。値段では175万円ぐらい。重さは4.5㌔です。800㍉で撮影するメリットは肉眼で見る16倍で撮れること。トリミングで画質が優位になる、遠近感を圧縮する効果があり、被写体を浮き上がらせることができることです。デメリットはヘリの機内では三脚、一脚が使えないことです。ヘリは200㌔近いスピードで飛び、各社のヘリも飛んでいることでホバリング(空中で飛行停止する状態)ができませんでした。そのために振動がありブレが発生してしまいます。早いシャッタースピードで被写体を大きく撮るよりも小さく撮って画像を拡大するようにトリミングして写真を生かす手法が新聞写真の場合に取られます。上空で心がけたことがあります。撮影よりも救出作業を優先して妨げにならないようにしました。飛行に関するパイロットの判断も優先させることも部長と決めました。

午前10時に離陸して、1時間後に御嶽山上空に到着しました。スケールが大きな現場で、何を撮ればいいのかというものがわからないぐらいでした。多くの事件事故取材に携わってきましたが、火山の噴火取材は初めてです。初めて旋回しているときに、捜索隊が目に入り、一面灰色となった現場で後方にある色鮮やかな紅葉が印象的でした。この風景を被災した登山客の方たちも見ていたのだなと思いました。紅葉と灰色の現場を絡めた写真はほかの新聞にはなかったと思います。

捜索隊が中腹の山小屋に到着した場面がありました。山道が火山灰で埋まって、張られたロープがないとわからないくらい状態です。到着してから15分、山頂から離れて全体を見渡すことにしました。事件事故はピンポイントなんですが、この噴火は山全体が現場でそのスケールの大きさに飲み込まれそうになりました。自分を落ち着かせるためです。当日は10機以上のヘリが上空で旋回していました。11時20分になって航空無線が救助を待つ女性がいることを伝えていました。手を振っていると。ヘリは円滑に飛べるように同一の周波数で連絡を取り合っています。救助のヘリに情報を提供していたのです。その女性がどこにいるのかもわからないので、その情報にとらわれず、次の写真を撮ることにしました。揺れる機内から画面の中にとらえるだけで難しかったです。撮影した画像をトリミングしてわかる噴石の恐ろしさがわかってもらえると思います。
11時30分ごろに同乗の社会部記者が偶然、山頂付近の石垣付近に横たわる女性を発見しました。ヘリでは、視界が限られています。窓から見える対象を報告しあって情報を共有します。800㍉で撮影しましたが、画面で見てもよくわからないくらいです。現場とは1500メートル離れたところから撮っています。社会部記者が肉眼で見た時と800㍉で撮った時を比べると画像では小さくしか写っていません。

この女性が来ていた登山服が蛍光ピンクだったのでわかると思います。この写真を拡大したものが受賞したものです。近くには亡くなられていると判断できる方もいました。揺れる機内からファインダーにとらえるだけで精いっぱいでした。この女性が航空無線で伝えられていた女性かわからずに撮っています。新聞写真の場合、亡くなられた方の写真を掲載することはありません。かつてほかの新聞社で掲載した時があって、苦情や抗議があったと聞いています。撮影できる時間が30分を切っていました。上空を2周して全部で41枚撮影しました。(現場の状況を投影しながら説明)11時43分に離脱する準備に入り、交代で飛来した大阪本社のヘリに先ほどの女性の救助場面は任せて長野ヘリポートに向かい、機内で画像を確認しました。生存していると確認できたのは、リュックの位置が変わったこと、手が動いたこと、顔の角度が変わっていたからです。社会部の記者と「よかった」と喜んだことを覚えています。アップにして1枚目を送信しました。自分がアピールするものを送るように心がけています。

東京へリポートに戻り、デスクから状況がわかるようにトリミングして再送するように連絡がありました。自分もデスクワークをしていますが、いざ取材に出ると思い込みやこだわりが出て、冷静に判断できないところがあります。デスクは冷酷に写真を見て判断するのが仕事だと思います。今回の受賞作がそのトリミングで、アップにするよりも現場の状況がわかり、この女性が生存できたのかのヒントがこの写真からわかると思います。この女性が誰なのか、どのように救出されたのかは警察発表がなくわかりませんでした。掲載について編集局長はじめ整理部長など幹部が議論を重ねました。写真報道局長が最後に掲載の判断をしました。現地の取材班から救出後に亡くなられた女性はいないということが伝えられ、掲載の後押しになりました。

報道写真として評価されたことは光栄ですが、50人以上の方が亡くなり、今も現場に取り残されたかたもいます。受賞作がパネルとして展示されている事に、報道写真とは違うのではという思いがあり、自分の中で整理がついていません。葛藤を抱えながらみなさんにお話しする日を迎えてしまいました。現場を記録する報道写真と、それに伴う賞というのは別のものと思っています。選ばれたのは光栄ですが、この女性の気持ちを考えた場合、喜びではなく、申し訳ないという気持ちがあることをこの会場に来ていただいた方にはわかってもらいたいと思います。

【池田】 1枚の写真を撮影に至るまでの大山記者の様々な考えや報道写真と新聞に掲載されることとパネルで展示されることについて大山さん自身の葛藤について踏み込んで話してもらいました。

【飯塚】 朝日新聞の飯塚です。天文の写真で賞を頂きましたが、天文写真を専門に撮っているわけではありません。写真記者として今までどのような仕事をしてきたのかということから説明したと思います。昨年の2月末にはソチ五輪でフィギュアスケートの取材をしていました。写真記者には専門分野というものはなく、担当もあまりありません。私の場合は冬季五輪のトリノ、バンクーバー、ソチと3大会連続で取材しました。撮っていてファインダーが涙で曇ったのはソチ五輪の浅田真央選手のフリーの演技でした。その前年は福島でのフリースタイルW杯を撮っていましたし、その前の年は大阪本社勤務でした。高浜原発が稼働を終えるというのでヘリで上空から取材していました。その前の年は大阪の橋下知事(当時)が脱ダム方針を打ち出していたので、地元の陳情の様子をやっています。バンクーバー五輪ではカーリングを撮っていましたし、外国人の介護福祉士を受け入れる動きの取材もありました。その実習に密着していました。2007年には東京勤務。三遊亭圓楽さんの引退会見をとりました。その前年がトリノ五輪です。フィギュアの荒川選手の代名詞ともなっている「イナバウアー」を撮っていました。日々の事件事故も含めて様々な取材をしていました。現在は国会担当です。昨年12月の衆院選投開票の時の自民党本部の写真です。(各社カメラマンが密集している様子を見せ)安倍首相からはこのように取材陣がこのように見えています。

天体写真とのかかわりですが1986年にハレーすい星が来ました。76年に1回地球に近づき明るくなりますけれど、天体ブームになり小学生6年生の私はすい星をいつか見てみたいと思っていました。日本からの条件は悪くて見られず、大きくなったらすい星を写真に撮りたいと思っていました。高校、大学と写真部にいました。大学では心理学を専攻しましたが、将来写真で食っていこうと決意して卒業後報道カメラマンになりました。多種多様の取材が報道カメラマンの仕事です。その中に専門的な天文写真を自分の得意分野にしていこうとしたわけです。例えばしし座流星群(1999年、2001年に大出現)です。高知の室戸岬で撮った写真です。(写真を説明して)幻想的な雰囲気の写真になりました。2009年の皆既日食に(北硫黄島付近で同僚が撮った写真を示して)朝日新聞は全部で十何人も取材記者を出しましたが唯一地上、海上から撮れたのがこの写真です。私がいたのは鹿児島県の種子島に行きましたが雨でした。重い機材を担いで持っていきましたが皆既日食中の写真ですが、日没後30分ぐらいの暗さになったようでした。撮れなかったリベンジを果たそうと休みをとって2012年にオーストラリアに自費で行きました。(曇っている写真を見せ)この辺に太陽があるはずなんですが、全然見えませんでした。皆既日食が終わってから太陽の光が差してきました。雲が一つあるだけで振り回されてしまう、己の小ささを感じるのが天文取材です。金星の太陽面通過というのがありました。7時間かけて金星が太陽の手前を横切る現象です。この写真を撮るには赤道儀という天体の動きに合わせて自動で動くカメラの台です。7時間にわたり晴れていないといけないので、天気予報を参考に「晴れの国」といわれる岡山県岡山市で撮りました。(撮影風景の写真を見せ)パソコンですぐに合成作業ができるように準備していました。赤道儀は夜になって北極星が見えないと設置できません。前日夜から準備していました。太陽の光は強烈です。フィルターを付けますがアルミホイルのようなものをレンズに付けます。太陽光が10万分の1になるものです。2012年金環日食がありました。東京都心で見えたので記憶されているかたも多いと思います。私は大阪本社勤務でしたので、和歌山県那智勝浦町に行きました。(その写真を見せ)二重に見える瞬間は雲に隠れていて、真ん丸に見えず中心が偏っているものになりました。その時も赤道儀と800㍉に倍率を倍にするテレコンというレンズを追加して撮りました。大阪通天閣の上空で皆既月食です。連続写真ですが、雲で見えないところが欠けています。月の軌道は毎日変わります。下見を重ねていましたが、通天閣に月が隠れてしまうのではとひやひやしたのを覚えています。そのほかのすい星の写真取材で午前3時に和歌山県の天体取材で有名な山奥で他社のカメラマンにあったことがあります。同じ狙いで来るなんて同じものを考えているカメラマンもいるんだと思いました。

アイソンすい星は肉眼でも見られるといわれていましたが、太陽に近づいてバラバラになったことは皆さんごぞんじの通りです。この写真も赤道儀で撮りましたが、肉眼ではほとんど見えず、双眼鏡でようやくぼんやり見える程度のものです。

天候に左右されてしまうのが天体のしゃしんです。今回受賞した写真ですが、横切っている時間が0.6秒です。ピュという時間です。このような現象は頻繁に起こっています。何度も狙ってきましたが、夜空では1~2分かけて横切るのもわかります。太陽の前を横切るISS(国際宇宙ステーション)を撮ってみたいと思っていました。若田船長が地球に帰還するタイミングです。インターネットで軌道が計算できるので、日本国内で3回のチャンスがあり、日中のほうがいいと判断しました。撮影場所は下北半島の青森県横浜町です。ホタテと菜の花で有名なところです。ホタテの貝殻で埋め尽くされている海岸で、地元の漁師さんに不審がられていましたがひとり腕時計をみてひたすら連写していました。2秒間です。すぐにカメラのモニターで確認するとISSが横切っていくのがわかりました。(一コマの写真をみせ)左上にISS,黒い点が太陽の黒点です。ISSの大きさがサッカーグラウンドを同じくらいです。450㌔上空のものが800㍉と2倍のテレコンバーターでこのような写真が撮れたということです。1200㍉という超望遠レンズで撮ろうとした時もあります。

今回は天文写真のテクニカルな写真で受賞しました。事件事故の現場や伝えるための使命感で発表する写真が多い中で、自分が計算して企画して、紙面に使ってもらい誰も不幸になっていないということがよかったなと思っています。ご清聴ありがとうございました。

【池田】 飯塚さんも撮影に至るまでの苦労に加え、自らがこうむった不運まで明らかにしてもらって面白いお話でした。

【池田】 飯塚さんの写真は7枚の写真を合成しています。どのように処理されたのでしょうか。

【飯塚】 デジタル時代になり、写真の合成処理は簡単になりました。報道写真は本質を損ねる不自然な合成は使えませんが連続で動きを見せる場合に使う場合があります。複数枚の画像を重ねて比べて暗いところだけを残すソフト機能を使って合成しました。

【池田】 撮影のデータについての質問が多く寄せられています。

【大山】 昨年は3回しか取材に出ていません。トキの取材の設定のままで撮ってしまいました。1000分の1ぐらいでいいのかなと思っていましたが、カメラの設定が1600分の1、感度自動、すべてカメラ任せでした。普段は使わないRAWデータ(受光素子に入った光の情報をそのまま記録する形式)でも撮ってしまいました。普段は新聞写真では使用しません。そのため、あそこまで拡大したトリミングでも見ることができたのではないかと思います。

【池田】 三脚、一脚は使えないですが手持ちで撮ったのですが
大山 他社のカメラマンから翌日に聞かれましたが、手持ちで800㍉と答えました。

【池田】 私も現場にいましたが、400㍉を超すとヘリの振動でカメラがぶれ、ファインダーの中は何が写っているのがわからないくらいだと思います。

【大山】 佐渡で撮っていたトキ取材とヘリのスペースがほぼ同じなので、トキを撮っていなかったならば今回も取れなかったと思います。

【池田】 大山さんがRAWデータで撮っていなかった紙面に掲載できなかったということですか
大山 紙面には耐える画質でしたが、パネルで展示するのは無理ではなかったのではないでしょうか

【池田】 大山さんには肉眼で見た現場と800㍉で拡大したものを見せてもらいました。現場取材そのものを紹介してもらっています。産経新聞記者の方が生存していて「よかった」ということを言われました。その通りですね。事件事故の場合、目の前に目をそむけたくなる光景があります。東日本大震災も同じでした。現地入りした写真記者は命を真剣に向き合っています。どう記録する、どのように伝えるという厳しい現場と同じ状況でした。その取材で大山さんはその後も写真で見せることについて様々に心の中で葛藤している、いまだに自分で整理がついていないと締めくくられていました。

写真記者というのは飯塚さんが披露していたように様々な被写体が対象です。楽しいものもあれば、有名人にも会えます。でも政治の世界は面白くないですね。

【飯塚】 国会担当ですから、たとえば昨日は予算委員会などを朝から晩まで2000枚ぐらい撮りましたが、結局は1枚も紙面に出ませんでした。

【池田】 2000枚ですか。1日取材しているとそれだけシャッターを切る場面があるんですね。当日の予算委員会はヤジ合戦など相当ヒートアップしていたようですね。
ところでヘリコプターの中から送信することがありますか。

【大山】 締切に間に合うように送ります。大阪本社勤務時代にはこの高速道路サービスエリア上空は回線がよくつながるなどと言われていました。

【飯塚】 携帯電話の通信速度が遅いときにはPHSを使っていました。海上は航空法で高度300メートルの規制がないので、海岸まで出て低空で電波をつかんで送っていたこともあります。

【池田】 自費でカメラ機材を購入することはあるんですか

【飯塚】 赤道儀の私物があります。30万円。必要ということで会社にも買ってもらいました。

【池田】 飯塚さんが天文に対する知識の欲求はなんですか

【飯塚】 小学校時代にハレーすい星が見られなかったのが原動力になっています。なかなか見られないものをきれいな写真にしたいとか宇宙のロマンをかきたててくれるということです。近年の天文ブームで将来天体写真を撮る子供が増えるんだろうなと自分でも勉強しています。

【池田】 自分で撮りに行くと天候が悪いという不運に恵まれてしまうということですね。

【飯塚】 お金の続く限りやりたいです。2017年にアメリカで皆既日食があります。2035年には日本でも見られます。みなさんも楽しみにしてください。

【池田】 デスクの勤務はどのようなものと質問があります。

【大山】 ヘリの写真は新人でも撮れるわけではありません。デスクの私が、写真部に残された中では私を選んで現場に派遣するという決断をしたのです。

【池田】 デスクは部員が撮ってきたものをデスクが生かす、ボツにする、時には見ないでボツにするなんてこともありますよね。大山さんはデスクの見方と撮影者としての見方が違って自分が撮った時には思い込みやこだわりがあって冷静に判断できなかったと語られていました。

【大山】 デスクとして見てしまうと、写真に愛情がわきません。自分が撮ったものではないからで、なんでこんな撮り方をするんだよとか、じぶんならこう撮ると思ってしまいます。こだわりですね。冷酷に画像をトリミングしてしまうことでよくなることもありますよね。今回の場合もデスクがみてくれて適切なものだったと思います。

【池田】 デジタル化の時代で、大量に撮れる中で、大山さんは上空で41枚しか撮らなかったですね。画像すべてがそのまま読者に伝えられる写真だったと思います。大山さんの技量はすごいですね

【大山】 ありがとうございます。生存しているのがわかっていたのに自分でも41枚なのかという後悔がありましたが、撮りすぎた場合に短時間でやる作業で大丈夫だったかなとも思います。フィルム時代は1つの仕事で1本のフィルムに起承転結を収めろと教育されていました。今の若い部員は無限に撮れるため、入社直後の部員が大相撲の取材で撮り続けて、結びの一番でカードの容量が無くなったという大失敗もありました。

【池田】 会場からの質問には我々の仕事の本質的な部分についてのものがあります。「伝えることはどのようなことか」「伝える際の制約とは」などです。本来ならばディスカッションしてお答えしたいところですが、定められた時間になってしまいました。

写真記者の場合「クールアイ、ウオームハート」と言いまして、冷静な目で切り取り、シャッターを押す心の中は温かいものがあるというのが我々の仕事の基本ではないでしょうか。大山さんの葛藤は「伝えることは重要だけれど、媒体が変わって時間を経た時にどのようなことか」を自問自答しているということは理解していただきたいと思います。写真の持つ機能として写真を見れば、脳の引き出しに収められたさまざま思いや様子がよみがえる、その引き出しのカギが明けられてまた新たな思いや考えが引き出されるということではないでしょうか。その一端が新聞紙面や新聞社のウェブサイトではないでしょうか。それで毎日毎日、ニュースを皆さんにお届けしているということですね。先ほど知人に「文字じゃダメなんだ。写真だから伝えられるんだ」といわれました。その通りだと思います。

報道写真で1年を振り返る写真展は来年も開催させていただきたいと思います。
きょうはご来場いただきありがとうございました。