「あー、本当に寒い・・・」。



 メダルラッシュに日本中がわいた2018年の平昌五輪。アルペンスキーやスキージャンプなど山岳地域で行われる競技の担当として、現地に赴いた。〝レジェンド〟葛西紀明の出場で注目を集めたノルディックスキー男子個人ノーマルヒルは強風の影響で競技も何度が中断。スキージャンプ台の横で寒さに震えながら再開を待つ間、ふと「この寒さには覚えがある」と思った。かつて体感したマイナス15度以下の寒さは2008年と2013年に訪れた標高5600mのエベレスト・ベースキャンプだった。



 ジャンルを問わずさまざまな場所で取材をする新聞社のカメラマンのなかで、取材機会の少ない「山岳」現場。私は富士山の山開きや、大型連休中の穂高連峰・涸沢のテント村など定番の「山もの」取材をはじめ、厳冬期の長野県・八ケ岳連峰の冬山登山や富山県・剣岳周辺の氷河調査などさまざまな山岳現場を経験している。



 「大学時代は登山部だったのか?」と質問を受けたこともあるが、実は登山を始めたのは入社してからだ。大阪本社時代に、山に強い記者と組んで本格的な山岳企画を何本か行ったことをきっかけに山の取材が増えた。その記者とともにヒマラヤへ飛んだのは2008年と2013年のことだ。それぞれ75歳、80歳でエベレスト最高齢登山を目指したプロスキーヤーで冒険家の〝レジェンド〟三浦雄一郎さんに同行するためだ。



 約80日間の登山生活。疲労と高山病と戦いながら、標高5600メートルのエベレスト・ベースキャンプ目指して山道を3週間以上歩き、氷河の上に立てたテントで50日近く生活する。夜には氷点下20度を下回り、分厚いダウンのジャンパーとズボンが手放せない。標高8000メートル以上は酸素濃度が地上の3分の1の「死の世界」。登山家ではないわれわれはベースキャンプより上部への同行はしなかったが、6000メートルほどの丘の上にテントを張り直し、少ない酸素と寒さに耐えながら三浦さんの登頂を写真に収めた。



 今回の平昌五輪は近年の冬季五輪でもっとも寒かったといわれ、寒さに対する準備をしていた2度のヒマラヤ取材と比べても平昌のジャンプ台は本当に寒かった。いい撮影ポジションを求めて、重い機材を背負ってジャンプ台を上り下りするのはまさに登山そのもの。しかし、大きなため息をついても、酸素が少なくて肺が苦しくなることはなかった。



 「ヒマラヤ並みに寒いけど、空気がたっぷりあるだけましか・・・」と思い直して、冷えた指をカイロで温めながらレジェンドの出番を待った。





2018年4月