富士山頂でご来光を拝もうと多くの登山客がヘッドランプをつけて夜の山道を登る姿が見られた=2016年6月30日(78秒露光)
富士山頂でご来光に万歳する登山客ら=2016年7月1日(写真上、下いずれも福島範和撮影)

毎年7月1日は富士山の山開き。通常、我が社では入社したての新人写真記者と山開き取材の経験がある若手をペアで出張させる。安全面や新人教育の観点から、未経験者と経験者の組み合わせは有効だと考えている。



 行程は多くの登山者同様、前日の昼すぎに5合目をスタート、登山風景を取材しながら8合目の山小屋に夕方到着。素早く夕食を済ませて機材を手に再び登山道へ。ライトをともして暗い山道を進む登山者の光跡をカメラに収め、1日付朝刊用の写真を本社にパソコンで送信する。デスクのOKが出たら布団に入り仮眠、1日午前零時過ぎには山小屋を出て頂上を目指す。そこで、日の出の時間を迎えた登山者の感動的シーンを取材、夕刊用の写真をその場で送って、後は自分のペースで下山する。



 これが富士山山開き取材の流れだ。



 ところが、何年か前までは今と比べて随分と大変だった。山頂で携帯電話が使えず、写真記者は取材後、電波が通じる5合目まで速やかに下りて画像を送っていた。本社との連絡用に無線機を携帯していた。



 更に遡って、写真がデジタル化される前のフィルムカメラ全盛期。写真記者は山開き当日、山頂付近で撮影後は登山道を小走りで5合目まで戻り、待機するプレスライダーにフィルムを手渡していた。プレスライダーは「オートバイさん」と呼ばれたバイクで輸送を行うプロ。新聞社ではフィルム運びが重要な業務だった。社旗が付いた大型バイクを自在に操り、東京本社まで高速道路をひた走る。本社に届けられたフィルムは、すぐに現像されて使用する写真をデスクが選択、プリントして出稿された。今では信じられないほど、多くの人手と手間が紙面化までにかかっていた。



 山開きの時期、登山道の出発点、5合目は晴れていれば夏のよう。歩くとすぐに汗だくになる。しかし、標高が上がるにつれ空気が薄くなり気温も下がる。3千メートルを超えると7月でも夜明け前は凍えるような寒さ。防寒対策をしていても体が震え、ガチガチと歯が鳴ることもある。



 頂上付近に雲がかかり、日の出の瞬間を撮れるか微妙なケースでは1人が8合目で待機し、1人が山頂に登り、2人の撮影ポジションに標高差を付けて、成功の確率を上げる工夫も。それでも、ご来光を拝めないことも少なくない。「一度、昇ったらもう勘弁」、「富士山は見る山。登る山ではない」…。ネガティブな感想をもらす局員がいる一方で、「日本の最高峰に立つ感動」、「山頂から見るご来光は素晴らしい」、「太陽に照らされ徐々に体が温まるのが驚き」などと、魅力を強調する声も多い。



 局員全体では、「辛かった」と言いつつ、楽しそうに思い出を語る記者が多数派といったところだろうか。



 今年の山開きももうすぐ。取材班は富士登山に何を感じて、どんな思い出を残すのか。土産話を聞くのを楽しみにしている。





2017年6月