1981年6月17日、梅雨入り前のカラッとした晴れわたる下町の商店街で、男が通りがかりの母子や児童など6人を殺傷、そのまま通行人の女性を人質に中華料理屋に立てこもっていた。テレビ局は現場からの生中継を始めていて、写真部に配属以来2か月間、朝から夕までを暗室内で過ごしていた私も、所轄の警察署での取材を命じられた。署に着くやいなや、先輩が使い古したぼろぼろのフィルムカメラで、署に出入りする人物や車を手当たり次第に撮り始めていた。当時はフィルムを本社にオートバイ便で送らなければ現像処理できなかったので、写真説明用紙に何をいつ撮ったかは記入していたものの、回りの雰囲気にのまれて何回シャッターを押したかはまったく気にしていなかった。無線機で「殺害された母子の夫が署に入った」とデスクに連絡、しかも「私しか撮っていない」と宣言してしまったあと、カメラのフィルム巻き上げクランクに手を添えて頭がカーッと熱くなった。クランクが何の抵抗もなく回ってしまったのだ。冷たい汗が一筋背中を流れた。今でもあのときの「バカ野郎!撮れるまで帰って来るな」という無線機が壊れてしまうのではないかというデスクの大きなしゃがれ声が耳に残る。男はその後突入した警官隊に逮捕され、下着一枚で報道陣の前に現れた。人質も逃げ出して無事だった。



恥ずかしながら、今から25年以上も前、私の入社直後の大失敗。連続殺傷事件が繰り返されるたびに頭をよぎる。どなり続けていたデスクの声がまた聞こえ、簡単に命を奪う理不尽な犯行や「誰でもよかった」などの容疑者の勝手な言い分への憤りを倍加させるような気になる。



08年の東京写真記者協会加盟の新聞、通信社カメラマンの最優秀作品を決める協会賞は、毎日新聞写真部小出洋平記者撮影の「秋葉原ホコ天で凶刃に倒れる男性」。生々しい現場で救命措置を受ける男性をヘリコプターから撮影したスクープだ。1枚の写真が伝える事実は重い。
現場の最前線から写真ジャーナリストとして事実を皆さんに冷静にきちんと伝えたい。使命感に基づいた熱意をもって仕事にあたりたい。決して仕事に失敗したから憤るが増えるという理由をつけずに。




2009年1月