(毎日・小出、東京・朝倉、事務局・花井)

日本新聞博物館主催の「2008年報道写真展 記者講演会」が09年2月14日、同館のニュースパーク・シアターで開かれました。ジャーナリズムの活動について一般の方に理解を深めてもらうため企画されたものです。08年度東京写真記者協会選定の協会賞、部門賞受賞者の記念講演と、日頃の取材活動、新聞紙面では語りつくせない報道への思い、現代社会で報道に求められていることなどをディスカッション、質疑応答した中からの抜粋です。

[第1部・受賞報告]
「秋葉原ホコ天で凶刃に倒れる男性」
毎日新聞東京本社写真部 小出 洋平
▼ 受賞作品の概要・経緯・ねらい
08年6月8日の日曜日、午後0時半すぎに本社から直通電話で一報が入りました。はじめは「人が刺され、救急車が相当数来ている」という内容の連絡だったと思います。通り魔事件だという概要すらもまだ分かりませんでした。離陸の準備を整える5分ほどの間にも入ってきた「多数が心肺停止」などの断片的な情報を持って、パイロットと整備士の計3人で現場に向かいました。羽田空港にある格納庫から現場まで約10分の間、どのような写真が撮れるか考えながら、カメラのバッテリー残量を確認。高いビルが林立する都心の取材なので高度制限も厳しく、望遠レンズを付けたりと機材の準備をしていました。
交差点周辺に人が大勢集まっていたので、上空から現場はすぐに確認できましたが、到着直後はなぜこんなに人が集まっているのか状況がつかめませんでした。レンズで交差点をのぞき、目をこらすと人が倒れ、点々と血が流れているのが分かり、「大変な現場」だと思いました。
混乱した交差点、その周囲に集まる群集、男が刃物を振り回し次々に通行人を襲った路上、男が乗り捨てた車、と現場の状況が1枚に納まり、説明的な写真ばかりで何かが伝わらない、足りないと感じていました。自分自身も腰が引けていたと思います。
400㍉を構えて「交差点の真上にお願いします」とパイロットに声を掛け、交差点の囲いの中で救急隊員に治療を受ける男性を上空から撮影したのがこの写真です。
取材中は「7人死亡10人けが」とは分かりませんでした。遠い国の出来事ではなく、自分の生活圏内でこれほどの事件が起きたことを読者に伝えたかった1枚だったと今にして思います。実は交差点の脇でシートに覆われているでもなく通行人の目にさらされていた同じようなアップの写真を撮るには撮ったが、これは出稿を見送りました。一方でこの写真は10人近い隊員が懸命に救護を続けている姿があり、まだ生存している、助かる可能性があると判断して出稿しました。

「歴史的な瞬間」
東京新聞社写真部 朝倉 豊
▼ 受賞作品の概要・経緯・ねらい
広範囲なことは避けてスポーツ写真という局面において私が普段心がけているようなことを話します。そもそも私は社会・政治ものはあまり詳しくないので局所的なことしかわかっていないという事情もあります。とはいえ、これらの中には応用が利く事象もありますのでご参考になれば幸いです。
今回、賞を頂いたフェンシング競技は撮影経験が全くなく、ルールもほとんどわからない状態でした。太田選手が準決勝に進んだという一報を受けてから試合会場へ移動してみたところ、主要な撮影場所はほとんど埋まっていたため他の場所を探しての撮影となりました。幸いなことに試合会場(ピスト)周りは広くて自由に動けたので選手が剣を持つ手や背景、使用するレンズを考慮して他のカメラマンが全くいない場所を選んで撮影しました。
このときに一番重要なのはその場所から撮影した場合、できあがる絵柄がどのようなものになるのかということを早いタイミングでつかむということだと思います。フェンシングは15点までは試合が続くので比較的余裕のある競技だと思いますが、アルペンスキーの滑降のように一回しか撮影のチャンスがない競技もたくさんあるので予測はとても大切な要素になってきます。その競技の見せ場を早く見抜きその後の展開を何通りか想定しておくことができれば「右に行ったからこちらも右へ」という後追い的な撮影を避けられ、常に先手を取って待ちかまえるような感じで被写体に対応することが可能です。
そんな理由から私は絵柄や展開をあれこれ何種類も予測し準備するための想像力こそが重要であると考えています。これはスポーツ写真に限らず、どのような事柄の撮影にも当てはまるはずです 。カメラの性能が上がってきて「押せば誰でも撮れる」という現在において絵柄を決める撮影場所の選択が「シャッターを押す」こと以上に今後ますます大切になっていくと思います。

[第2部・ディスカッション]抜粋
コーディネーター:東京写真記者協会事務局長・花井 尊
<小出さん、取材で心掛けることは…>
[小出] 日ごろの事件取材で多々あることですが、事件・事故の取材は警察の発表を受けて各社が一斉に取材を始めます。現場に到着すると、そのほとんどは警察の事件捜査が始まっているので、近づける距離も限られています。都心の火災などビルの谷間で起きた事件事故は規制線をかいくぐって現場が見通せる建物を探し回って、交渉して中に入れてもらう。冬の時期でも汗をかくぐらい息を切らせて走り回ることもしばしばです。淡々と警察が捜査している様子を撮影していても事件事故の緊迫感がないこともあり、人が亡くなった現場だという意識が自分自身の中で希薄になっていると感じています。
逆に秋葉原の現場は発生後間もなく、交差点の中には、急いで乗りつけた救急車、パトカーが何台も止まり、人が右往左往しているのが見え、明らかに混乱しているのが分かりました。現場の喧騒は聞こえてきませんが、その雰囲気に呑まれると自分が何を撮っているのか分からなくなるので、のべつ幕無しにシャッターを切ることはせずに、時々、ファインダーから目を離して現場全体を眺めて、狙いを絞ってレンズを換えて撮影を続けました。目の前には何が起きて何があるのか一つ一つ頭の中で整理していきました。
<朝倉さんはどうですか>
[朝倉]新聞社に入社して20年になります。私の場合はスポーツ取材が主でした。サッカーコンフェデレーションカップ、世界陸上、アルペンスキーワールドカップ、フィギアスケート世界選手権などのほか、プロ野球取材は8年やりました。好きでしたしスポーツ取材に恵まれていました。オリンピックは夏冬あわせて北京大会で3度目です。
スポーツ写真で一番大切なことはシャッターチャンス、つまりシャッターを押すタイミングですが、そのタイミングを日々苦労しています。しかし慣れというか、訓練のたまもとというか、だいたいヤマを張ってもきっちり写真の図柄がはまるケースが多くなりました。ヤマカンで撮れと言っているのではありませんが、早く予想して早くカメラとレンズと向けないと間に合いません。地道な撮影訓練が結果的にカメラマンの腕を磨き、読者にいい写真を届けられると思います。
<苦労話や信条みたいなものは…>
[小出] 秋葉原事件のような空撮取材の場合、現場の記者とやりとりができ、かつ警察からも刻々と情報が入る地上と違い、現場の記者→本社の社会部→本社の写真部→羽田格納庫の整備士→ヘリのパイロット、と何人も経由するため限られた情報に自分の経験、時には勘で自分なりに現場を読み解かなければなりません。上空からの撮影は写真記者の僕らでも慣れない高さなので、いつも以上に緊張感はあったと思います。
特に事件事故現場の取材では「とにかく何でも撮れ」とよく言われますが、自分でも何を撮っているのか説明できない写真は何も伝わらない。これは新聞記事も同じです。カメラを手にしている以上は自己満足だけでなく、見た人に何かが伝わる写真を、と心掛けています。自分自身に感じるものがなければ、なにも伝わらないと思います。
[朝倉] 一般取材に関しては、私も小出さんと同じ意見です。あえてスポーツ取材に関して言えば、スポーツはドラマを絶えず含んでいるということです。何が起きるか分からない。その時シャッターを押していなければ写っていない。ヤマカンだけでなく、絶えず何かが起きるだろうと心構えがあると無いとでは、結果に天と地の差があります。だからスポーツ取材は面白いのです。戦争ではありませんが、決められたルール内での格闘技です。それは各選手の精神的な格闘も含まれます。そんなドラマチックな人間の姿を伝えていければと常に思っています。
<最近、動画がはやりのようですが…>
[小出・花井]動画は動画で役割があり、流れる映像のほか、音も声も解説もあり、時には効果音も含んでものごとを伝えていきます。しかし、一枚の写真が滅びるわけではありません。写真力といいますか、静止した一枚の写真からメッセージが発せられ、人間の感性を呼び覚まします。「戦場のフォトグラファー」というドキュメンタリー映画で、主人公である写真家のジェームズ・ナクトウエイが「私は目撃者であり、これらの写真は私の証言です。私が記録した出来事は、忘れられてはならず、また繰り返されてはならないのです」と言っています。動画とは違う強いメディアだと思います。
<マスコミの人間は、現場で、取材より苦しんでいる被害者をなぜ助けないのか、という質問がありますが…>
[朝倉・花井]このご質問はこれまで何度もお聞きしてきた質問です。現実的な話ですが、たとえば秋葉原事件で現場に着いて、シャッターを押すのをやめて、救急隊に「何かお手伝いすることはありますか」とは言えません。救護の邪魔になるだけです。役割分担といいますか、我々は写真を通じて読者、国民に現状や問題点を伝えるのが仕事です。2001年、児童8人が殺害された大阪の「池田小学校児童殺傷事件」のとき、上空の取材ヘリコプターが何機と舞っているのに救助に降りてくれなかった、という批判も受けました。メディアスクラムといって、取材現場に報道関係者が群がり被害者、加害者ともに大迷惑をかけてきたことは今では許されません。今ではそのような反省のもと日々の取材に当たるのが我々の任務だと思います。
<ありがとうございました。これからも精進して取材にあたってください。この講演会が報道現場の実情とジャーナリズムの使命や役割について、少しでも理解していただければ幸です>

≪日本新聞博物館が行った記者講演会アンケート結果・一部抜粋≫
・写真記者の生の声が聞けてよかった。また、取材する際の視点がわかりとても参考になった(40代・男性)
・新聞から写真が抜けたら全く無意味なものになると思う。報道写真の訴える力は絶大だ。これからも読者へ感動を伝えてほしい(80代・男性)
・取材の状況、姿勢など、具体的な話が聞けてよかった(20代・男性)
・写真記者の立場や魂の様なものを感じた(70代・男性)
・報道現場の第一線で活躍している方の話に重みを感じた(10代・男性)
・写真記者としてのこだわりが伝わってきた(20代・女性)
・若手記者、中堅記者、それぞれの考え方の違いが大変興味深かった(50代・男性)
・1枚の写真が掲載されるまでの過程がわかってよかった(60代・男性)
・報道写真の難しさがよくわかり、社会とのつながりがすごいと思った(40代・男性)
・写真記者本人の伝えたい心を知ることができてよかった(70代・男性)
・報道写真の迫力や一瞬を切り取るための取り組みや苦労が感じられた(50代・男性)
・報道写真の本質に接した良い機会であった(70代・男性)
・取材背景を詳細に聞けてよかった(20代・男性)
・豊かな内容で大満足した。2人の記者の率直な話も、コーディネーターの進行もとてもよかった(60代・女性)
・写真記者の現場での姿がよく伝わってきた(50代・男性)
・日ごろ聞けない話が聞けてよかった(20代・男性)
・いかに目的を持ち、先を読んで写真を撮ることが大切かを確認できた(20代・女性)

以上(まとめ文責・花井)