「オレにできるかなあ?」

 「大丈夫ですよ。教えた通りやればいいんです」

 「でもなあ…」

 「じゃあ、お願いしましたよ。よろしく」

 忘れもしない。06年10月3日深夜、広島、流川通りの入り口にあるデイリースポーツ広島支社での私とSカメラマンの会話である。当時の私は支社の編集部長だった。その夜は翌日に山口・下関球場で開催される秋季高校野球・中国大会準決勝の打ち合わせをするはずだった。地元の広陵が山口・宇部商とセンバツ出場権を賭けての大一番である。

 しかし、突発的なアクシデントが起こり、Sカメラマンは取材をキャンセルすることになった。打ち合わせは急遽、“急造カメラマン”養成の場となった。

 私も若い頃はカメラ片手(もちろん、コンパクトカメラ)に取材に出向いたことはあるが、大型の望遠レンズを使い、ましてや観客席からの撮影は経験したことがなかった。支社は一人が何役もこなさなければならない。幸運かそれとも不運か、私にはそれまで機会が回ってこなかったのだ。

 翌日の下関球場。記者席でスコアをつけずに、50歳の記者は肩にずっしり食い込むカメラとともに、内野席をウロウロしていた。ピントを合わせて、エエッとばかりにシャッターを押す。カシャカシャカシャッ。機械音が響く。記者席と内野席を往復する。狙いは絞った。絞るしかない。エースの野村祐輔だ。(そうです。明治の野村です)1イニングが実に長い。広陵が2点リードのまま、試合を終えてゲームセット。「ベンチ前のナインの表情を撮った方がいいかな」と思いつつ、ベンチ裏で喜びのナインを取材する。ついでに野村にボールを持たせてポーズを取らせる。中井監督も押さえておいた。

 宿舎に帰って写真をチェックし、何枚も送る。これがまた、時間がかかる。なのに、写真部のデスク曰く、「使えるのが少ないですねえ」と冷たい一言。さらに付け加える。「ついでに試合後のヤツもお願いします」

 結局、高校野球が1面となる。ギョッ、明らかにピンぼけだ。ありゃ、試合後の写真も使っているではないか。赤面の至りではあるが、なんとか1面を張れたという充実感と同時に、肩の荷がスーッと降りた。

 「だから言ったでしょう。なんとかなるって」

 「ああ、そうだな」

 5日夜、支社内で再び2人の会話。そう、私は彼にこう言ったことがある。「最近はカメラの性能が上がって技術よりも、使い慣れる方が大事らしいな」

 彼は黙っていたが、私はこの憎まれ口を悔やんだ。確かに性能には助けられたが、結局、ものをいうのは写真を撮る人間のセンスであり、技術だ。それにやる気だ。「やる気はあってもセンスはどうかな。ないわな」東京本社に帰って、机の中に大切にしまってある当日の新聞を眺めながら、私はつぶやくのである。 


2009年6月24日